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★サンデーモーニング文大統領発言をみて、目加田説子「日本も韓国政府も両方とも頭を冷やして冷静に・・・」と日本政府を批判する浮いた意見…他は岡本「文大統領は国民を日本嫌いにさせる方向指導」、田中秀征「文大統領にがっかり…」みたいな感じだが…(若干書き起こしメモ)



(自動文字起こし)


10日新年の会見を行った韓国のムン大統領の演説では一切触れなかった日韓関係について日本メディアの記者に問われると こう答えました



・・・


そして徴用工問題に対する日本の政治家の対応について批判したのです


・・・


会見の中では日韓問題への言及に消極的だったのかこんな発言も


・・・ 徴用工巡っては会見の前日韓国の裁判所が日本の新日鉄住金が保有する韓国内の山を差し押さえると通知これに対し徴用工問題は解決済みという立場の日本政府は同じ日日韓請求権協定に基づいて政府間の協議を韓国政府に要請しました


競技の妖精は1965年の協定締結以降初めてのことでしたが体験では具体的な対応策はされませんでした


4分50秒レーダー照射問題については一切触れられませんでした


ムン大統領の会見を受けて翌日日本政府は根本の文大統領の発言は管腔側の責任を日本側に天下をさせるしようというものであり極めて遺憾であります菅官房長官


激しく反発しました捕まる日韓の対立解決の糸口は見えないままです




今回はですね請求権の解釈と実施をめぐる争いですので日本政府は日韓請求権協定に基づいて両政府間での協議を求めています韓国がこの協議に応じず競技でも解決しない場合は日本政府は協定に基づいて第三国を交えた仲裁委員会の要請も検討しています韓国がこれにも応じず抽選会でも解決しない場合は国際司法裁判所へ提訴心理される可能性もありますただしこれはどの段階でも韓国の同意が必要なんですね韓国外務省の関係者によりますと韓国からは政府間協議に応じるという意向なんですが結論には時間がかかるだろうとしています2階の間には去年の秋以降今回の徴用工問題の他にも慰安婦財団の解散や火器管制レーダー照射といった問題が2ヶ月の間に立て続けに起きているんですが陰性県の日韓問題の関心は薄いようです今回の新年の演説でも多くは北朝鮮やアメリカのことについてで日本については冒頭の演説では一切触れず質疑応答での受け答えが波紋を呼んでいます


・・・(VTR)


岡本
そうですねやっぱり韓国の大統領がどういう状態をするかで韓国国民の感情を使ってきますねあの90年代の最後の金大中大統領の時は日韓関係を良い方向へ持って行こうとトリコの登録されたけれどもその後の大統領はことごとく国民を日本嫌いにさせる方向の訪問指導してきたような気がしますね 。
 韓国はあの後二条裁判所の強制管轄権を受諾していませんからこの真偽は成立しないでしょうがただ日本が一方的に提訴するそれをきちっと国際社会に言って日本の立場を行ってくると国際世論を見に味方につけるということしかないでしょうねで硬さ
文大統領は韓国民を日本嫌いにさせる方向に指導してきたような気がしますね …みたいなニュアンス)


目加田 説子
今日本と韓国の間でやり時間をかけて解決していくべき問題なんじゃないかなっていうふうに思っているんですねあのー中央日報の社説の中で今のこの日韓の対立はほんと誰のための何のための大切なんだっていうことを書いていたんですけれども私もそう本当に思っていて北朝鮮の非核化ひとつとってもですねやはり日本と韓国は協力していくっていうことが何よりも大事なこの時期にですね対立してる前なのかなって現場で話し合って今までやればデータの消費者の問題についても解決できたはずなのにって思うんですよねですから日本も韓国政府も両方ともちょっと頭を冷やして冷静に冷静になってできるだけでも車で話し合って解決していくということを目指してほしいなというふうに思います
(なぜか、日本を批判。しかも中央日報の社説を読んで、自分もそう思ったと…)



大宅
なんですか結局月の新刊見たいものはどんどん深まってしまう国と国で交わした約束のすぐ反故にされるとかね今の会見見ててもあの間違った人が立ち上がっちゃったということをわざわざ彼の大統領口から違うっていうこと自体がね私も仲間に加わって苛立たせるような不信感をいやがうえにもますようなそういうことが一番のネックに当たるな気がします
(「文大統領が腹立つようなこといいやがって、!プンプン」って感じ)



田中
禁止っていう漢字に丸しましたね今の大統領対6の気体酸素透過の汽車代目に私お願いが泣きたいでボールが向こうにあるんだからいいボール投げたりしてもらいたいという細やかに来たりしたんですが結局の基本的な間違いませんそれはあの国と国との約束条約とか協定というものは当事国関係する国の司法権を拘束するんですよところがそのだから中国犬と行政府の考え方に違いがあるとしたら韓国のかねもしあるとしたらそれは国内問題なんですよねそれを例えばあの大統領の発言で大親友の最高裁の判決を尊重することを言っただから日本に尊重しろって話じゃないんですよねそのものが無効化はその国の司法権も拘束してんだから行政政府の側で何らかの形で説得してねその条約に合わせる努力するっての清潔なんだそれをやってないでそういう認識に欠けてるんですか根本的に必死なところが感じられないんでほんとがっかりしたいですね
(文大統領が韓国国民に「条約の方が大事です」というべきなのに、逆に韓国司法の判断を日本政府は尊重せよといったのは、がっかりだ…みたいなニュアンス)



松原
口が見えないですよね あってしまったというかもう疲れてしまった部分を除くとですねもう全てがまあ悪い経済と進まない北朝鮮だけといってもいいぐらいの会見なんですねそれそれだけもうちょっと厳しいわけですよねすごくない時には届いていたけど手術はおっしゃって問題で言うとですね中古の問題で今パックでさんの政権時代にその兆候の判決を送らせようとしてたんじゃないかって当たりかけて集合ですね政権が進めてそれを追求しただけです今そこに行かないと彼らと同じ だからそういう余裕もなくてチーズの入ったような国際問題の部分で考えるがあんまりないんだと思うんですねレーダー照射問題見てもですね相当韓国に説明無理がありますけども日本のビデオの出し方みたいなものつまりトップダウンで出したみたいなことに対しても相当反発を強めてるってこと実務者でも必ずのように政治家同士がかなり暑くなってるという感じがするんだから是非出口を見つけるためにやっぱり大国になってねそれとも冷やすことしかないんじゃないでしょうかね
(注 松原氏も目加田氏に近い内容だが、文批判に軸足を置いている感じか)




おまけ
百田尚樹「日本国紀」レビュー 一部抜粋


・江戸時代、お伊勢参りや金毘羅参りが庶民の間にも定着していく中で、「犬のお伊勢参り」という世にも面白い現象が出現した。これは、病気や歳を取るなどして自力でお参りできなくなった飼い主に代わって、犬が首にお布施を下げて伊勢まで旅し、参拝する「犬のお遣い」なのである。参拝に赴く犬が道中、食べ物や水、休憩場所を与えられたり、道案内をしてもらったり、時には首の巻物が重かろうと持ってあげる人が現れたり、お金を袋に入れてくれたりと、多くの人の助けを得てお伊勢参りを果たし、無事に飼い主のところへ戻ったということだ。このエピソードに接して、まず知るのは、当時の日本の津々浦々の治安がいかに良かったか、市井の人々がいかに暢気な優しさを備えていたかである。
・伊能忠敬は商人だったが、49歳で隠居し、50歳になってから、天文学、暦学、数学を学び始めだ。そして55歳から測量の旅に出て、17年かけて日本の沿海図を正確に描いた地図を完成させた。忠敬の測った緯度の誤差は約千分の一である。海岸線は人が歩けない険しい崖であることが多いが、忠敬の残した地図には、そうした海岸線も極めて正確に描かれている。現代のような測量機器などはもちろんない。凹凸のある道なき道を行き、その距離を正確に測るというのは、まさに超人的な、気の遠くなるような大仕事である。異国船を前に、幕閣が右往左往している時にも、こうした民間人が日本を支えていた。


・日本人に初めて英語を教えたのは、カナダ生まれのアメリカ人のラナルド・マクドナルドである。イギリス人とアメリカ・インディアンとの混血であった彼は、肌が有色であったことと、容貌が日本人に似ていたことから、日本に対して親近感を抱いていた。冒険心に富んだマクドナルドは、謎のベールに包まれていた日本に対する興味と、「日本人に英語を教えたい」という気持ちから、嘉永元年(1848)、24歳の時に自ら密入国した。彼は幕府によって捕らえられ、長崎に送られ、座敷牢に入れられたが、彼が日本文化に興味を持ち、また聞き覚えた日本語を使うのを見た長崎奉行は、日本人通詞14人に英語を教えることを許す。後にペリーとの交渉で通訳を務めた森山栄之助と堀達之助はマクドナルドの教え子である。
帰国後、マクドナルドは、日本は高度な文明を持った国であることをアメリカ人に伝えた。彼の名は日本ではほとんど知られていないが、アメリカでは歴史上重要な人物として評価されている。


・日本に来る前に清(中国)を旅したシュリーマンは、そこで中国人から法外な料金をふっかけられたが、日本の渡し船の先頭が正規の料金しか請求しなかったことに驚いたという。また入国する際、荷物を解く作業が大変なので、免除してもらおうと2人の税官吏にお金を渡そうとしたが、2人は受け取りを拒み、荷物の上だけを見て通してくれた。


明治の初期に日本を旅したイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは「日本ほど女性が一人で旅しても、危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はない」と書いている。世界中を旅してきた彼女にとっては、「ただの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともない」経験は稀有なことだった。


明治の初期、エドワード・モースは、瀬戸内地方を旅したある日、広島の旅館に金の懐中時計と銀貨・紙幣を預けて遠出しようとしたところ、旅館の女中はそれらを盆に載せて、モースの泊まった部屋の畳の上に置いた。部屋はふすまで仕切られているにすぎず、誰でも簡単に出入りできる。モースが宿屋の主人に、これでは心配だと言うと、主人は「ここに置いておけば安全です」と答えた。一週間後、モースが旅館に戻ると、盆の上には金時計はいうに及ばず、小銭に至るまでそのままで残されていた。