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★「ウイグル人人権弾圧、粛清の実情。なぜこれまでメディアは大きく報じてこなかったのか…福島香織」「心配な安倍政権 消費増税、改正入管法このままでは日本経済に大打撃…高橋洋一」【12/22正義のミカタ宮崎哲弥、藤井聡】


◆99%の日本人がわかっていない 国債の真実 高橋洋一
国債は、国会の予算委員会で予算が成立し、税収では足りなそうな分を国債を発行して補う。


予算の「歳出」(出て行くお金)は、「社会保障」「公共事業」「防衛」「文教及び科学復興」などに振り分けられ、中には「国債費」(過去にしてきた借金の返済や利払いに使うお金)もある。一方、「歳入」(入ってくるお金)は、「税収」「公債金」にわかれている。


政府が発行した国債は、基本的には銀行や信用金庫、証券会社等の民間金融機関に売りその代金が予算に使われる。いっぺんに調達するのは不可能なので、毎週国債を売り(発行)、少しずつ調達していく。


民間金融機関が政府から買って保有している国債を、日銀は時価で買い、国債を受け取る引き換えにお金を刷る。この売買は、日銀が金融緩和政策の一環で、「買いオペレーション」「量的緩和」と呼ばれる。


お金がより多く出回れば、以前と比べて相対的にものよりお金の方が多くなる為に、インフレになる。物価は「モノの量」と「お金の量」のバランスで決まる。


日銀と政府の関係は、日銀には政策の独立性があるが、政府がとる大きな方針に従って金融政策を行い、国民が使う通貨を発行したり、国債の入札や発行にかかる手続きをしたりなど、政府の財務処理の「事務方」としての役割もある。日銀のトップ人事は、国会の同意を得て政府が行い、予算も政府が握り、日銀は日本政府の「子会社」といえる。


日銀は、国債を買い通貨を発行することで生じる利益は、、利子収入(通貨発行益)と呼ばれ、これを丸々国に納める(国庫納付金)、政府から見れば、「税外収入」である。


利子収入をもたらす国債は、日銀にとっては「資産」で、日銀が発行する通貨(日銀券)は、日銀にとっては負債になる。


日銀券は無利子だが、国債には利子がつき、国債の利子収入は丸々日銀の収入となり、最終的には国庫納付金として政府の税外収入になる。


日銀による金融量的緩和策は、為替にも影響し、日銀が国債を買うと円安になる。


為替が決まるメカニズムは「2つの通貨の交換比率」で、通貨の「量」の比率で決まる。例えば、日本の円がアメリカのドルよりも相対的に多くなると、円の価値が下がり円安になる。


「借金=絶対悪」とするのはおかしく、莫大な借金問題ではなく、「借金を返せるだけの資産がなかったこと」、が問題で、借金に見合うだけの資産が有る限り、借金が積み重なっても構わない。


国債は政府の借金だが、同時に金融市場にはなくてはならない「商品」でもあり、金融市場では、国債以外にも株や社債といった金融商品が取引されているが、国債と株、国債と社債を交換する取引が基本であり、金融市場は、利払いのやりとりを通じて、経済を動かしている。


アメリカのニューヨーク市場、イギリスのロンドン市場など、金融資本主義が発展している他の国の金融市場でも、国債を介した取引が一番多く、国債がなくては金融市場が成り立たない。


「国債が多く発行されすぎている」と民間金融機関が判断したら国債は買われなくなり、国債の金利はどんどん上がる。日本の国債金利は低いまま取引され、言い換えれば、民間金融機関が国債をまだまだ欲しがっている。


借金というのは、必ず誰かの資産になり、国債は政府の借金だが、貸している民間金融機関にとっては「資産」である。


財政法では、「公債または借入金以外の歳入をもって歳出の財源とする」と定められ、借金をせずに、歳入(国の収入)だけで予算をまかなうという意味で、歳入だけで財政運営が出来ないために、借入については「建設国債」(インフラ整備や建設なでの予算)の発行が認められ、借金をしてもいい「建設国債原則」がある。しかし、これでも財政運営が出来なくなったので、さらに各年度に特例公債法を適用して、例外的に「特例国債」の発行が認められ、それが、「赤字国債」と呼ばれている。


先進国で予算において国債を建設国債と赤字国債とに区別しているのは、基本的には日本だけである。海外で通用する「教育投資国債」は日本では認められていない。


外国人が日本の国債に群がるような状態は、日本の国債の信用度が高いことを意味し喜ばしい事で、外国人保有率が高くてもデフォルトになる確率は決して高くなるわけではなく、外国人保有率を気にする必要はない。


財務省は一貫して「増税派」で、財政再建が目的ではなく、予算権限を増やし、各省に対して恩を売り、はては各省所管の法人への役人の天下り先の確保につながる。


国の財政状態はバランスシートを見れば一発でわかり、政府と中央銀行のバランスシートを合体させた「統合政府バランスシート」(日本政府バランスシートと子会社の日銀バランスシート)を見れば、第二次安部政権発足後から、日銀が量的緩和をとり、安部のミックスの「大々的な金融緩和」で財政再建はとっくにできている。


FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)前議長であるベン・バーナーキン氏は、「日本は量的緩和すればデフレから脱却し財政再建は出来ている」と言っていて、まさに、その通りになっている。


財政問題があると言っている人たちは、政府のバランスシートの右側(負債)だけ、つまりグロス債務または、グロス債務残高の対GDP比を見て、債務残高は、1,000兆円(GDPの2倍)、だから、「財政再建が必要」「増税と歳出カット」と主張している。しかし、政府の「子会社」である日銀の負債と資産を合体させれば、政府の負債は相殺される。従って、増税や歳出カットの必要はない。


償還が100年先に訪れる国債なら、少なくとも3世代くらいは償還費の心配はなく、さらに永久国債となれば、永久に心配はなく、償還がいつなのかは、大した問題ではない。


しかし、民間企業の社債だったら、倒産のリスクもあり、リスクのあるぶん、国債より利率は高い、だから、社債の場合は、永久も超長期も成り立ちにくいが、国債は政府の借金で、永久国債を買っても、国が潰れない限り永久に利子を受け取り続ける事が出来る。


借換債の一部を日銀に買ってもらう「日銀引受」は、財政法人により原則的に禁じられているが、(インフレになりすぎる危険がある)原則は原則で、必要なら行なわれ、政府は民間金融機関から新たにお金を借りるか、日銀からお金を借りるかで、国債の償還に充て、日銀保有分の国債は、ジョセフ・スティグリッツ氏(コロンビア大学)のいうように国債発行残高と「相殺」されるので、財政問題を生じさせない。


かつては「有事のドル買い」が当たり前だったのに、今では「有事の円買い」が常識になり、東日本大震災、阪神淡路大震災の後は、円高になった。これは大々的な復興予算が組まれ、これを国際金融市場も予想し、日本に資金が集中、結果として円高となる。


リーマン・ショック、ギリシャ危機、
の時に、各国はこぞって金融緩和策を打ち出すが、日銀は無作為策であった為に、ドルやユーロに比べて相対的に希少性が高まり、円高になった。


経済は「需要と供給」で成り立ち、世界の需要全てを「総需要」と呼び、これがより大きくなるほど、物価は上がり、デフレ不況の中では、これが景気回復の糸口となる。総需要には、「政府需要」も含まれ、モノやサービスを消費する国民も需要者だが、公共事業などにお金を払う政府もまた大きな需要者である。国債の発行を少なくすることは、政府が使えるお金が少なくなり、それはつまり政府需要が圧縮されることを意味し、公共事業が減る。


国が国債を増発し、政府需要を高め財政政策と、日銀が民間金融機関から国債を買うという金融政策の「合わせ技」が必要、経済政策では、この両方を秤にかけて、よりよい社会貢献が高い選択肢をとるべきで日本経済に必要な政策である。


東日本大震災の2014年の消費税などは典型で、本当に災害復興を目指すなら、国債を発行するのがもっとも効果的で、それも100年債や500年債といった超・長期国債がいい。


2009年フランスのサルコジ大統領は、大規模な特別国債の発行をした、これは、教育国債の考え方そのままで、教育への投資は、イコール将来への投資であり、社会的に大きなリターンが期待でき、長期的な便益が見込めるものには、国債の方が理にかなっている。長い目で見て投資し、長い目で見て回収すればいい。


ただし、教育国債を実現するには、財政法の改正が必要で、これは、つねに自分都合で物事を動かしていたい財務官僚が一番、嫌うところで、必要とあらば、政治はそこにも切り込んでいかねばならない。


国会で教育国債が話題に上がった時に、麻生財務大臣はが、「赤字国債と何が違うのか、次世代の先送りになる」として否定的な姿勢を示した。
結局、教育国債は「こども保険」なるものにすり替わってしまい、所詮、保険という増税にすり替えられている。


教育費を無償化するのはいいが、その財源は、消費税でもなく、保険でもない、やはり国債がもっとも適切なのである。


最後に、投資に回せる資金が有るなら、この低金利の環境では、「リスクプレミアム」をふまえて「国債」、幾つかの種類のある国債から、個人向け国債「変動金利型10年満期」を現在の状況下でこの商品を勧めている。





◆『週刊文春』と『週刊新潮』 闘うメディアの全内幕
花田 紀凱   (著),    門田隆将 (著)


文春砲の脅威もあり、記事の使用料をテレビ局が支払うシステムが構築され、「週刊新潮」のスクープ『「豊田真由子」その女代議士、凶暴につき』で、テレビ局は、「この、ハゲーっ!」などと言った音声を流すのに、一番組ごとにウン万円の使用料を支払う、新潮はこのネタだけで1,500万円稼いだと話題になった。


テレビ局は、情報番組を決めるのは、結局、放送作家で、彼らの基準は視聴率しかなく、視聴率が上がるのなら、右でも左でもいい、ワイドショーの企画会議は、週刊誌を並べて、「今週はこれで行きましょう」と決め完全に他人の褌で相撲をとり、テレビ局からすれば、安く、楽に高いクオリティーを、週刊誌からネタが手に入る。


週刊新潮の中吊りが文春に漏れている疑念から、2014年以降、漏洩元を突き止め、最終的に出版取次会社のトーハンに辿り着き、トーハンの内部調査よれば、2011年春頃からほぼ毎週、中吊りを担当者に貸し渡していた。


「週刊新潮」が創刊されたのは、1956年で、当時、「3ヶ月も赤字が続いたら倒産」などと囁かれたらしいが、当時の週刊新潮は「新しいジャーナリズムの形を作ったこと」、世の中、追求しても、真相がわからないものばかりで、結論をあえて書かなくていいと考えるのが、「薮なかスタイル」である。


記者(データマン)たちが取材して書いたデータ原稿をデスク(アンカーマン)が、5,6ページの記事にまとめる、
「アンカーマン・データマンシステム」新聞では真似できないスタイルで、それを作り上げたのが斎藤十一(じゅういち)であり、後に「フォーカス」も創刊する。


週刊紙は新聞社にしかできない、出版社には無理だというのが、「週刊新潮」創刊当時の常識で、取材網を持っていなく、記者クラブにも入っていなく、情報が入ってこないと言われていたが、大物作家の連載小説で多くの読者を集め、独自の取材力でいろんなところへ飛び込んで行き、新聞とはまったく違う視点で物事を斬っていった結果、部数が伸び、あっという間に100万部を突破した。


週刊新潮に新人が入ると、取材記者として、データ原稿を徹底的に書かせ、談話原稿をまとめて、デスクに出し、さんざんダメ出しされ、データマンとして、取材記者として鍛え上げていく。選ばれた人間がデスクになって完成原稿を書くからいい記事ができ、これが「週刊新潮」のアンカーマン・データマン方式で、「週刊文春」の新谷学編集長は、「ネタを持ってきた者は、ネタに対する思い入れが強いから、そのまま完成原稿までやり、それがモチベーションにもつながり、ひいては、勢いにもつながっている」と言っていて、これが文春方式である。
文春には教えるシステムがない。


1970年(昭和45年)、富士銀行雷門支店で19億円不正融資事件が起き、韓国系の虚業家に騙された、雷門支店の副長を逃亡先の香港に警察より先に捕まえて、インタビューを「『幹部は知っていた!』香港某所で涙ながらに語る恐るべき全貌!」「週刊文春、1970年10月12日号」を、花田さんの最初のスクープである。


一方、門田氏は、1983年(昭和58年)10月東北大学医学部の鈴木雅洲教授が日本で初めて体外受精による出産に成功し、試験官ベイビー誕生で大変な脚光を浴びたが、毎日新聞が体外受精児の両親の名前を報道したため、東北大学は「プライバシーの侵害にあたる」として、発育経過の発表を中止した。すると、名古屋の学会会場前で怪文書が撒かれ、その怪文書の筆者を徹底的な取材で、一人の医師に怪文書を出した本人に、「体外受精児が奇形児である噂について」告発まで持っていった、「東北大『体外受精児』流れる『不吉』な噂」(『週刊新潮』1983年12月25日号)、先輩方と一緒に取材をして色々なノウハウを教えてもらえた。正しくプロの集団である。


また、「気を付けろ『佐川君』が歩いている」(1985年11月7日号)は、1981年、留学先のパリでオランダ人女性を殺害してその肉を食べて、パリ警察に逮捕され精神喪失状態にあったとして罪に問われず、日本に送還し入院していたが、1985年8月、精神病ではないと、病院は退院させてしまい、「人食い願望」は病気ではないから治しようがない、危険人物を社会に放り出して平気なこの国こそ異常である。
こういう正論を主張していた。


お互いの過去のタイトルを誉め合うことに、当時の時代背景が蘇り、新潮の1983年12月22・29日号の、候補者を立てない選挙区から、テコ入れの必要な選挙区に有権者の住民票を大量に移動させ、公明党・創価学会による「民族移動」タイトルに「創価学会『民族大移動』を噂される『選挙区』」門田氏は名古屋で延々と聞き込み取材をしていた。


新聞ジャーナリズムが徹底的に堕落してしまい、新聞には「報道面」(ストレートニュース・ファクト)と「論評面」(主義主張に基づいた)の二つがあるが、朝日を筆頭に、今の新聞は自分の主義主張にしたがってストレートニュース自体をねじ曲げていている。


新聞は記者クラブを通じて、情報をずっと独占してきたが、それを自分たちの主義主張に基づいて、自分たちの都合のいいように加工して大衆に下げ渡していたが、インターネットの登場で、新聞の嘘がバレるようになった。


2014年5月20日に朝日新聞が政府事故調書(政府事故調査・検証委員会)が福島第一原発の吉田昌郎所長に聞き取り調査を行った際の記録、いわゆる「吉田調書」から、「所長の命令に違反して福島第一原発所員の9割が撤退した」というとんでもない報道をした。


門田氏は、実際に吉田昌郎所長や大勢の現場の人たちに取材をしていて、ブログや「週刊ポスト」等で、「朝日の記事は誤報」と書いたが、朝日新聞が「訂正・謝罪しなければ法的措置を検討」と恫喝してきて、大反響になり、
結局、9月11日木村伊量(タダカズ)社長が、「吉田調書」記事を全面撤回し、社長以下の責任者が、更迭と辞任となった。


森友学園、加計学園の問題でも、朝日新聞は、火のないところに煙を立てた問題の本質を解説し、明らかに、朝日の「印象操作」であり、ストレートニュースが歪められて、新聞が完全に安部政権を潰すための道具になっている。「新聞は倒閣運動の“ビラ”に成り立っている」反政府運動体の機関紙になってしまっている。


記者は出世のことしか考えずに、上ばかり見て動く、いわゆるヒラ目記者、とくに朝日新聞はそう見えて、過激な取材をして何か問題を起こすよりは、社内で出世する方を選ぶ、東京新聞の長谷川幸洋さんや、産経の阿比留瑠比さんのような人は例外かもしれない。
週刊誌の記者の方がゲリラ性が残っている。今や、政治家スキャンダルは、ほとんどすべて週刊誌が先鞭(センベン)をつけている。


1990年代までは、裁判でなかなか負けることがなかった、言論の自由が尊重されていたし、裁判の過程でネタ元を明かさなくてよかったが、(ジャーナリズムにとってネタ元は明かさない)、裁判でネタ元を明かさないことが評価ゼロとされ、負け始める。


権力者たちは、どうやって週刊誌規制をするか協議して、名誉毀損による賠償額を上げるルール作りをする。『裁判官が日本を滅ぼす』


週刊現代は、2007年の大相撲八百長疑惑報道で、講談社側が命じられた損害賠償額は4300万円だったが、結局、裁判決着の後、2011年には、八百長が行われていたことが発覚し、『週刊現代』の方が正しかった。


新聞やテレビがやっているのは、揚げ足取りと失言狙いばかりで、ただ政権を倒そうと躍起になり、全然問題のないことまで論ってつまらない政権批判ばかりをやっている。


新潮の門田氏は創価学会、菊のタブー(皇室)、文春の花田氏は統一教会、JR東労働組合、批判記事からそれぞれの大きな組織と本当の正義を示し闘った。


新潮の少年法のキャンペーンは、被害者の立場から、少年法の問題を書き続けて、少年法が2000年についに改正された。足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件では、「週刊文春」が、加害少年四人の実名報道をしかも顔写真まで掲載し、少年法の問題がクローズアップされ出した。


少年法の第一章「総則」の第一条から、彼らがやったことが少年の「非公」 なのか、無残な犠牲者が出ている「凶悪犯罪」なのか、重要なポイントになる。


酒鬼薔薇事件で、フォーカスは犯人の顔写真を掲載したが、週刊新潮はかなり深く取材をしていて、犯人の名前は仮名にして写真は目線を入れた、にも関わらず、法務省は両者に回収勧告を行ったが、新潮社は勧告を拒否した、しかし、書店の販売自粛、事実上の販売停止になった。斎藤十一イズムが生きている。


新聞はあくまでも、建前ばかりで、一方、週刊誌は本音で勝負している、平穏に暮らす少年少女たちを守るために、犯罪少年たちを、社会は絶対に許さないメッセージを犯罪少年たちに伝えないと犯罪は減らない。


新聞の記事は八割近くが「官公庁などからの発表物」で、週刊誌が独自の取材力で気を吐いていたのが1990年代だった。


1999年(平成11年)4月14日に、18歳の少年が強盗目的で主婦を殺害し、生後11ヶ月の長女を絞め殺す残虐極まりない凶悪犯罪(光市母子殺害事件)で、夫の本村洋さんは、「週刊新潮」手記で犯人の新潮社だけが、実名報道に決意に賛同したが、東京法務局は、新潮社に対し、人権侵害防止策の策定と謝罪などの被害回復措置を構ずるよう勧告を行った、その対応をしたのが担当デスクの門田氏であった。


その後、門田氏は裁判官は、誰も批判できないタブーに、週刊新潮は、2002年に、「裁判官がおかしい」シリーズを連載から、2003年書籍デビュー、「裁判官が日本を滅ぼす」という単行本になる。


1970年代から「週刊文春」に力がついてきて、三浦和義の「疑惑の銃弾」は、テレビ、新聞を巻き込んで大騒ぎになった。何もないとこから、ファクトを暴き出した。


1990年前半のグリコ・森永事件は、十六年近くにわたって門田氏はフォローしてきて、それが週刊誌のいいところである。


1972年4月、外務省気密漏洩事件(西山事件)の真相を暴露した新潮の記事は歴史的なスクープで、毎日新聞の西山太吉記者が、外務事務次官の蓮見喜久子さんを通じて、外務省の機密文章を入手し、二人は後に逮捕・起訴され、毎日新聞は言論弾圧だと避難したが、週刊新潮は、二人の不倫関係をスクープし、半ば強制的に極秘電文のコピーを盗んだ、これで毎日新聞はとどめを刺され、部数減に債務超過に陥り実質的な倒産に追い込んだ歴史的なスクープである。


ソ連が崩壊して、混乱状態中で、いろいろな機密資料がバンバン出てきて、
門田氏は、野坂参三スパイ説を報じた、その10ヶ月後、花田氏の「週刊文春」は、「極秘資料発掘!野坂参三 同士を売った密告の手紙」(1992年9月)を書き、共産党も否定出来なくなり、ソ連のスパイだったとして、百歳を越えた野坂参三を除名処分にした。


1990年代初め、戦後最大の経済事件、イトマン事件が発覚し、門田氏ががスクープしていたが、新潮では企画が通らず、週刊新潮の「マネー欄」に押し込んだ。


この事件の背景に、企業が銀行借り入れではなく、エクイティファイナンスで資本市場・証券市場から資金を調達して自己自己資金を増強するようになると、企業のトップを籠絡(ろうらく)して、その資金で美味しい商売をする経済ヤクザが台頭(許永中や伊藤寿永光)する。そこに住友銀行が出資法違反等で逮捕者や会長が辞任していく。


文藝春秋は、松井清人社長を筆頭に
安部政権を「どうしても倒さなきゃいけない」と異常な安部叩きをしていて、しかも、どれも内容が薄っぺらい内容ばかりである。


新聞がファクトを無視して、自分たちのイデオギーや主義主張に基づいた印象操作を行っていて、本来なら異常な新聞の報道に対して、雑誌までが、新聞の尻馬に乗ってファクトを無視した安部叩きを興じている。


門田氏は、安部政権が進める地方創生の政策で東京23区内の大学の定員数を認めない方針に対しては厳しく批判している。経済政策や民主党政権下で陥った、戦後最悪の日米関係の改善などは評価している。


ネット広告収入モデルで広告費は、雑誌、新聞広告費を抜いていて、米国の「ニューヨーク・タイムズ」は、デジタル有料講読者は220万人を突破していて、有料課金シフトの流れは日本でも生まれていて、花田氏が編集長を務める「Newspicks」は、月額1,500円で、有料会員数は4万人を越えていて、月額6000万円で、新時代の新たなジャーナリズムの可能性がある。


花田氏は、文藝春秋で働いた30年のうち、17年間「週刊文春」で仕事をし、うち6年間は編集長を務め、いつも意識していたのが、「週刊新潮」だった。




すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ 堀江 貴文   (著)
学校が教えることの9割は「知識」ではなく、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関である、つまりは学校はもともと、子どもという「原材料」を使い、「産業社会に適応した大人」を大量生産する「工場」の一つだった。


江戸時代の庶民に、「私は日本人である」というアイデンティティはなく、生まれた家、住んでいる村といったレベルで自己を定義していて、それ以上の広い概念は必要なかった。近代以降、国家間の緊張が高まっていく中で、多くの国が学校を使い、自国民の愛国心を育てたのである。お年寄りがいまだに「忠臣蔵」が大好きだが、それはこの「お家のために」という物語に酔いしれていて、それだけ、この美徳の呪いは強力なのである。


教育勅語(ちょくご)は、子どもに「孝行」や「友愛」など、「十二の徳目」を教え込む内容になっていて、これらの徳目を備えた「立派な日本人」になることが務めで、つまり、「学校」という工場における、「日本人」という製品の品質チェックの基準が、これによってはっきりした。


ほとんどの学校は、特殊な例を除いて、国の検定を受けた教科書しか使えないことになっていて、結局は、「国の認める内容以外を教えていけない」ということである。今でも学校は恣意的な常識の洗脳機関なのだ。


世界中の情報が手のひらのスマホに集まってしまう、グローバル企業が提供するサービスにどっぷりハマった日常を生きることにより、「○○国に住む○○人」という意識は薄まっていて、インターネットがもたらした本当の衝撃は、国家がなくなることなのだ。


歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、人間がこんなにも進化したのは、人間にはフィクションを作り、大勢で共有する能力があったからだと論じていて、フィクションをつくる能力は素晴らしく、それは、テクノロジーの進化を促し、数々の文化を産み出してきた知恵の泉で、僕たちの周りにはびこっているフィクションは、古び始めていて、新しい時代のためにの、新しいフィクションが必要である。


インターネットによって国家の壁が取り払われた現在、人々の居場所はもっと違うところにあり、人種の壁、国家の壁、年齢の壁、あらゆる壁を越えて、人はそれぞれの居場所を自在に作る事が出来、過去のフィクションを守るよりもずっと楽しい営みのはずである。ネイション・ステート、(国民国家)「N」と呼び、「いい大学からいい会社に入る」幸福のプラチナ・チケットを指導される幻想が崩壊して、グローバルを行動範囲にする「G人材」と、地元“ローカル”に根づく「L人材」2つにわかれていく。


日本中の都市を均一に発展させていくのは、すでに不可能で、未来のL人材に求められるのは、現状を受け入れ、活用していくチャレンジ精神で、実際、東京から高知県の山奥に移住したブロガーのイケダハヤト氏などは、何もない山奥の「開拓」をコンテンツにして大いに稼ぎ、地方に暮らし、仲間を大切にしていている。


メール、line、グーグルマップ、路線情報アプリも、全てが情報の価値をもち、こうしたツールの特徴は、「所有」しなくていい、必要なときに、インターネットを通じてそれに「アクセス」するだけですむ。スナップチャットの開発者のエヴァン・スピーゲルは、スナップチャットの成功について、データーのストックではなく、純粋な「楽しさ」にフォーカスしたことが世界的ヒットの要因だったと答えている。


インターネットの登場で、情報やモノ、あらゆるものの「所有」の価値観を著しく下げたことで、インターネットのもたらした社会変化が「情報革命」と呼ばれる所以である。


情報やモノを「どれくらいストックしているか」ではなく、「必要なものにはすぐにアクセスできる」と知っているかで、スマホを使い倒せる貧乏学生の方が、イノベーションを起こせる可能性は高い。お金、学歴、語学力など、あらゆるものの「所有」から自由になったとき、人はGの世界に足を踏み出すのである。


人類の歴史は、いわば「自分のエリアに、少しでも多くのリソースを移動させる」競争を繰り返しで、土地を奪う、大量の奴隷を連れてくる、海外派遣して勉強してきてもらう。たとえば、19世紀のオセアニアが、侵略してくるイギリス(国家経験値、軍事力、人口)に、全てにおいて差がありすぎて、オセアニアは「自国で所有しているもの」が少なすぎた、その差を埋める術が存在しなかったが、インターネット登場後、「国家間の差」に対しても、効果を発揮できる。


インドの経済成長を阻んでいた要因の1つは、インド人の8割が信仰しているヒンドゥー教の定めるカースト制度(親の職業を世襲することを強制する)だったが、インターネットの登場で、実はカースト制度は、ヒンドゥー教の経典に書かれていない、IT産業に関わることは許され、低いカーストの人々を中心に、IT分野に殺到し、その結果、インドは著しい経済成長を果たしている。インドの経済成長を見て、トーマス・フリードマンは、2005年に「フラット化する世界」を書いていて、ITの力は国家間の格差をフラットに、つまり平らにしつつあると指摘した。国が傾こうが、街の過疎化が進んでいようが、それ自体が人の運命を左右したりはしない。人類はもう、モノや情報を運ぶ仕組みは、着実に進化を続けていて、こうした世界の中で人々が求めるものは、素朴でポジティブな感情である。


「学び」とは、没頭のことで、脇目もふらずに没頭し、がむしゃらに取り組む体験の全てが「学び」である。「お勉強」で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけで、目的としているのは、「与えられた課題をこなし、大人に認められること」だけである。


梶田隆章教授(2015年ノーベル物理学授賞)は、「科学は人類が広い意味で協力して知の地平線を拡大する作業。一人一人が研究者ができることはそれほど大きくないが、自分が拡大していくプロセスが醍醐味」と発言していて、学びとは、知の地平線を拡大する、つまりイノベーションを起こしていく過程そのもので、それは当然「自分の進むべきルートを自分で作り出す」こととも重なる。


イノベーター的な人材は、常に既存のルールを疑い、その革命のために行動でき、あなたを縛るルールの鎖は、実はとっくに外されていることに気づくだけである。


低学歴の人は、その場その場で必要に迫られた勉強をしながら生きている人たちだが、それで困っている様子はまったくなく、むしろ本当に必要だと思って学んだ知識だからこそ、通り一遍ではない、生きた教養として血肉化している。この、「わからないから調べる」を人にさせるのも、やはり「没頭する力」である。


子どもが天才なのではなく、「通常モード」で、ただ、ほとんどの人は成長の過程で没頭を押し殺し、いつしか没頭そのものを忘れてしまうのである。


用意されたレールを飛び出し、未知の世界へと突き進む、それが本当の「学び」の始まりで、100点のゴールを最初に設定し、それに向かって突き進んだ逆算は、頑張ったところで100点までしか取れないが、逆算を止め、1点1点を楽しみながら積み上げていけば、無我夢中で動いている間に、200点、300点とその点が膨れ上がる可能性が開かれる。目標からの「逆算」を思い切ってやめた方が得られる可能性は大きく膨らむ。


キャシー・デビッドソンは、「2011年度にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に今存在していない職業につくだろうと」話している。今は食っていける仕事も、10年後にはなくなっているかもしれない、逆に今はとても仕事にならなそうなことが、未来の花形ビジネスになっている可能性はある。


学校というレールの作り手がいなくても、あなたは自分の進むべき道を自分で切り開いていくことができ、あらゆる可能性に導く真の案内人は、あなたがブレーキペダルから足を離すその瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。


「貯金型思考」と「投資型思考」の人の考え方や行動パターンで、「貯金型」は、「使わない」選択で、「財産を使わなかった=我慢した量」が貯金額が可視化したもので、一方、「投資型」に必要なマインドは、勇気やワクワク感で、「お金を使う」こと、正しい自己投資をしよう、ということである。「貯金をしなければ」という強迫観念に人々がとらわれているのは、「いざという時、貯金がないと危ない」というプロパガンダに乗せられていて、預貯金の実態は「貸し付け」で預貯金がないと困るのは、実は僕たちではなく金融機関で、貯金をめぐるこのカラクリは、「宵越しの銭は持たない」といった生き方が粋とされた時代もあって、貯金は近代に入ってから、国家によって意図的に作られたブームで、きっかけは戦争であって、政府は、昭和13年に「国民貯蓄奨励局(しょうれいきょく)」を設置し、大々的な貯蓄奨励キャンペーンを開始し、同16年に「国民貯蓄組合法」によってさらに強化かれ、自治体や職場、学校ごとに、貯蓄のための組合を結成する内容の法律で、そこを通じて貯蓄を強制された。国家はこの時に、「1円でも多く戦費を差し出させるため」のプロパガンダを打った。


「投資型思考」の人間が気にするのは
「いざという時」ではなく、「今この瞬間」の自分の時価総額、教育革命活動で有名な藤原和博さんは、「自分の年間総労働時間を把握しているビジネスパーソンは少ない」と、年収400万から600万円の会社員であれば、時価総額は大体2000~5000円程度である。これを上げる為に、より「レア」な人材に、“レアキャラ”その付加価値を示す要素“ダグ”希少性は、「要素タグの掛け合わせ」によって生み出せる。


マルコム・グラッドウェルが提示した「一万時間の法則」に従って、「1つのスキルの習得に1万時間かかる。それを3回繰り返せばいい」と仰っているが、揃えるタグは、別に「スキル」でなくても、一万時間をかける必要もない。もっとインスタントに「唯一無二」の存在になって、そのメリットを利用しつくして次に進めばいい。


投資型の生き方をする上で、「確実な未来予測」を探し求めることはタブーで、未来予知なんてできない、「特別な」情報や、「確実な」予想を元に働いているわけではなく、普通の生活の中で得たちょっとした発見や、「これ、いいじゃん」という単純な関心で、自分の「いいじゃん」という感覚を信じていて、未来予想など不要で、「今」の自分を信じればいい。


日本の会社には、驚くほどたくさんの「学校制度」つまり、「軍隊制度」が残っていて、国のために死ぬ兵士と同じマインドを刷り込まれていて、実績や実力に関係なく年功序列の中でひたすら叩き上げていく、上からの圧力を耐え忍ぶ軍隊じみたおぞましさがある。しかし、週休3日制度を取り入れたヤフーや、6時間労働を取り入れたスタートトゥディなど、革新的な取り組みを厭わない企業もあるのも事実である。


厚生労働省の統計データーに、2012年から2016年の間に、29歳以下のグループにおいて、仕事が原因の自殺が45%も増加していて、また、精神障害の労災請求件数も、2015年3月末の時点で過去最高を記録している。


一昔前は、会社に所属していないと、安定した報酬を得たり、そのためのスキルを身につけたりするのは難しかった、「会社」の向こうしか市場がなかったからで、「会社」を通じてお金は手に入らなかったし、モノの売買にも限界があった。しかし今、インターネットの登場によって、市場はすべての人の前に開かれ、自宅にいながら世界中の人たちを相手に商売ができるのである。


ソフィア・アモルーソは、学歴もなく、アルバイトや盗みでその日暮らしをするような不良少女だったが、22歳の時に、オークションサイト「イーベイ(eBay)」で古着の出品を始め、その延長で自分のECサイト「ナスティ・ギャル(Nasty Gal)」を立ち上げ、8年後には、年商1億ドルを越えるインターネットショップに成長した。


おそらく今後、かつて絶対に不可欠なものとされていた共同体(国民国家・会社・学校・家庭)の多くが解体され、もっとゆるやかでフレキシブルな、集合と離散を繰り返す共同体になっていき、閉じた共同体なんて、もう時代に合っていない。


今後社会というトップダウン式の大型組織を作ることはないだろう、もう、そんな形の組織で仕事を回す時代ではなくなった。


子供の時代の時間は「学校」に捧げ、大人になったらその対象を「会社」に変更したライフスタイルは、産業革命期のイギリスで生まれた「工業労働者」のもので、こうした19~20世紀の「工業」的な考え方は、実は21世紀にはまったく合っていない。


その理由は2つあり、熟年労働のニーズは、この30~40年で一気に減り、テクノジーの進歩で、今ある仕事の大部分は、誰でもできる単純労働か、反対に高度な専門知識やスキルの必要な知識集約型産業で、長い時間をかけて熟練工になるのではなく、転職を重ねて複数の専門分野を身に付ける方が自分の市場価値も高くなりる。


もう1つの理由は、人間の寿命が100年前の倍近くまで延びていることで、「65歳まで会社勤めをして、そのあとは年金生活」なんて古臭い人生設計はどうしたって通用しなく、退職後35年も年金だけで生きていくのは不可能である。「老後の楽しみのために苦しい会社勤めに耐える」という考えを捨てて、「楽しく続けられる仕事を、やる気が尽きない限り続ける」という生き方にシフトすればいい。


「ワーク・ライフ・バランス」などという考え方は無用で、「週末になったら、めいっぱい遊ぶぞ」そんな言葉で自分を奮い立たせているなら、なぜ、「嫌な時間」と「楽しい時間」に分けなければならないのか?すべてを「楽しい時間」にする方法はないのか?あると断言する。人生なんて極端でいい、偏っていていいはずだ、その許可を自分に出せば、生きるのがもっと楽になる。


人は仕事がなくなったら、人はヒマになって、「遊ぶ」しかなくなるからで、そして遊びを極めることは、未来の仕事を作ることに等しい、没頭こそが、あらゆるイノベーションを生み出す源泉であり、みんなが遊び始めれば、新しい仕事やコンテンツ、価値観がどんどん生まれるだろう。


一冊の漫画を読んで、その漫画のレビューをウェブメディアに寄稿して報酬を得れば漫画を読む行為が「仕事」でもあり、「遊びながら、学びながら、働いている」状態になる。


僕たちの学びの可能性は、大きく広がり続けている。学校も、教師も、教科書もいらない、一人ひとりが自由に、夢中になって新しい知を開拓できる時代がやって来ていて、新しい働き方、生き方のイノベーションにも直結している。その現実に目を向けることが出来れば、「一歩踏み出す」ことはぐっと簡単になるだろうと締めている。




知ってはいけない 隠された日本支配の構造 矢部 宏治   (著)


外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方増補版)の中に、○アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。○日本は合理的なしにその要求を拒否することはできず、現在に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の地位協定に「NO」ということはできない。


2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、「変換された島に米軍基地を置かないという約束は出来ない」という方針が、ロシア側に伝えられ、プーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマ日露首脳会議の席上で、「島に米軍基地が置かれる可能性がある」それでは交渉は終わると述べている。もし、安倍晋三が「返還された島には米軍基地を置かないという約束」をしていたら、2010年に普天間県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じになっただろう。


「戦後日本」には、首相ですらよくわからない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めて、残念なことに、そういう掟の殆どは、日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。


1977年9月27日に、横浜市緑区(現・青葉区)でのファントム機・墜落事件は、「死者2人、重軽傷6人、家屋全焼1棟、損壊3棟」という大事故だったが、パラシュートで脱出した米兵2名は、自衛隊機によって厚木基地に運ばれ、その後、いつのまにかアメリカへ帰国、裁判で事故の調査報告書には、「日付も作成者の名前もない報告書の要旨」が示されただけだった。


実は、「横田空域」「岩国空域」「嘉手納空域」米軍が管理する巨大な空域があり、「日米合同委員会」という密室で合意されたことから、空域については、いまだに何の国内法の根拠もない、ただ占領時代から続く米軍支配の状態がそのまま継続している。米軍は上空に設定したような優先空域を日本全土の上空にいつでもどこでも設定できる権利を持っていて、米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしても合法なのである。


アフガニスタンで実践に使われた海兵隊の航空機は、全体平均飛行時間3,747時間(約5ヶ月相当)に1度事故をおこしたのに対して、オスプレー(MV22)はなんと、90時間(約4日相当)に1度事故を起こした事が報告されていて、2020年からは、よりいっそう危険とされる空軍仕様のオスプレー(CV22)も、横田基地に10機配備される。すでに、オスプレーは、10月には横田基地、11月には東富士演習場(静岡県)、12月には岩国基地(山口県)に飛んでいて、12月13日の夜、沖縄で空中給油訓練中に墜落した。米軍ヘリやオスプレーの墜落事故のケースを見てもわかるように、敗戦後70年以上たってもなお、事実上、国土全体が米軍に対して治外法権下にある。


日本国内で米軍の飛行機が墜落して市民が命を落としても、交通事故でけが人が出ても、日本の警察は米軍が勝手に張った規制ロープの中に入れず、証拠物件を捜索したり事故の原因を調べる法的な権利がない。こんな奇妙な国は、世界中どこにも存在しない。


サンフランシスコ講和条約(平和条約)と旧安保条約は、どちらも1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効し、旧安保条約第1条には、「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」その時から日本はアメリカに対して、非常に大きな軍事上の特権を与えることになる。


アメリカとイラクがむすんだ「イラク・アメリカ地位協定」イラクがアメリカが提案してきた地位協定の草案に、110ヶ所の訂正を求め、中でも、「イラクに駐留する米軍が、イラクの国境を超えて周辺国を攻撃することを禁じる」という条文を加えている。


日本人は、世界一戦争をよくする米軍に対して、「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから飛びたって、自由に国境を超えて他国を攻撃する権利」を両方与えてしまい、これは明らかな「主権喪失条項」この協定を結んでいる国は、世界中の中に、日本と韓国、台湾で、台湾は、1979年に米中が国交を樹立したときにアメリカとの国交が断絶し条約も同じ年に失効している。


日米合同委員会は、「米軍が『戦後日本』において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」であり、この本会議には、日本側六人、アメリカ側七人が出席し、月にだいたい二回、隔週木曜日の午前中の11時前に、横田基地から、軍用ヘリで六本木にある米軍基地から、南麻布にある米軍施設「ニューサンノー米軍センター」の会議室で開かれている。日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対して、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人である。ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接関係が、いまだに続いているということてある。


つまり、「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」「軍事面での占領体制がそのまま継続した」「半分主権国家」として国際社会に復帰したということである。


私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。つまり、「アメリカの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものである。


鳩山首相時代、普天間基地の移設問題で、外務省、防衛省から幹部を二人ずつ首相官邸に呼んで秘密の会合をもち、以前から温めていた「徳之島移設案」という最後のカードを示して、協力を求めた、このメンバーが互いに情報交換しながら、それを外部に漏らさない、漏れた瞬間、この話は潰されてしまう恐れがあった、この連中はやってくれるんじゃないか、期待していたが、4月7日、朝日新聞の夕刊一面に、その機密会合の内容がそのままリークされた。当時の鳩山首相の精神的なダメージは大きかった。


日米合同委員会の実態がわかってくるにつれて、背景が徐々に明らかになり、協議といっても、最終決定権は米軍側が握っていて、「それはすでに米軍の上級司令官[大平洋軍司令官]が決定したことなので、日本政府が承認するかどうかは問題でない」などとスレートに発言しているケースもある。


法務省から合同委員会のメンバーとなる大臣官房長は、その後、かなりの確率で検事総長に就任している。検事総長を出す権利を握っているわけだから、日本の法的な権力構造のトップには、この日米合同委員会が位置している。


1957年群馬県で、21歳の米兵が、41歳の日本人農婦を基地の中で遊び半分に射殺した「ジラード事件」では、秘密合意事項として、日本の検察がジラードを殺人罪ではなく、傷害罪で起訴すること、日本の裁判所に対して可能なかぎり軽くするように勧告することが合意されていた。それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役三年、執行猶予4年」という、判決を出す、判決の2週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められてしまった。


「米軍関係者が日本の法によって裁かれない権利」(裁判権)も、「米軍が日本の国土全体を自由に使用できる権利」(基地権)も、最初は旧安保条約と行政協定の中に書かれていた。


米軍関係者の犯罪について、なぜ行政協定の条文が改善されても実態が変わらなかったかというと、その裏側で、日米合同委員会の秘密協議によって、
○「裁判権放棄密約」〈日本側はいちじるしく重要な事件以外は、裁判権を行使しない〉○「身柄引き渡し密約」〈米軍関係者による犯罪が、公務中に行われたものかどうかわからないときは、容疑者の身柄を米軍に引き渡す〉このふたつの密約が日米合同委員会で結ばれていた。「いちじるしく重要か」、「重要でないか」は、米軍側が決定権を持つ日米合同委員会である。


日本の裁判権を事実上放棄するこの密約について、外務省が真正面からそれを認めるコメント(報道ステーション)をだしている。


「行政協定」=「地位協定」+「密約」という非常に大きな基地権密約について、「公式」が生まれ、そこから無数の密約が生み出されていくことになった。


とてつもない歪みを隠すために、この国は、国家のもっとも重要なセクションにそれぞれ裏マニュアルを必要とするようになった。①最高裁の「部外秘資料」②検察の「実務資料」③外務省の「日米地位協定の考え方」①と②どちらも、米軍関係者に「治外法権」を与え、③は「裁判権」と「基地権」のあり方について、方針をまとめた、それぞれの裏マニュアルである。


戦後を考える上で、1954年の造船疑獄事件で、当時与党自民党の幹事長だった佐藤栄作の逮捕を、犬養健法務大臣が検事総長に対して指揮権を発動し、止めさせた、犬養はその後責任をとり辞任し、結局、吉田茂内閣の退陣までつながった。


検察裏マニュアルには、米軍関係者の犯罪については、「全ての起訴と起訴猶予について、必ず法務大臣が指揮する」と、「部外秘の通達」が、前年に、法務省検事局から全国の検察庁にあてて通達されていた。たった1度、実行されただけで、法務大臣を失脚させ、内閣を崩壊させ、その後も長く「戦後政治における最大の汚点」と目されて指揮権の発動。それが米兵犯罪については日々つねに「発動」されているという、いかにそれが深刻な状態で有るか、わかると思う。


なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられなかったか、法的な構造問題が沖縄基地問題と同じだった。日本には環境汚染を防止する立派な法律はあるが、放射性物質はその「適用除外」条項があり、大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法、それぞれ、放射性物質を適用しないまたは、除くと、ある。


1959年「砂川裁判」は、東京都・立川にあった米軍基地拡張工事をめぐる裁判で、東京地裁の伊達秋雄裁判長が、「憲法9条2項に違反」として、旧安保条約を違憲とする判決を下すが、翌日、マッカーサー駐日大使が日本の藤山外務大臣を呼び出し、指示を与えた経緯から、マッカーサー在日大使が最高裁の長官(田中耕太郎)と密会して、日本の司法の歴史における最大の汚点、「司法破壊」を行った。


「安保条約は日本国憲法の上位にある」ことが最高裁の判例として、事実上、確定してしまった。


「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」まさに、「法治国家崩壊」をもたらした大事件が、最高裁の法廷で起きてしまった。


ほとんどの人が、1945年8月15日に「第二次大戦を終えた」(終戦記念日)は、世界の常識とは違い、米国や英国の外交官は、必ず9月2日と答えが返ってくる。「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について、目をつぶりつづけてきた、日本の戦後だった。


ミズーリ号の調印式(9月2日)には、重光葵、梅津美治郎(よしじろう)が二人が出席し、天皇の姿は意図的に隠されることになった。


この降伏文章の受け入れから、7年後の1952年4月に独立回復するまで、日本政府や昭和天皇が自分だけの判断にもとづいて、何か重要な文章を作成したり、発表したりすることなど全くなかった。


日本人をうまく誘導するためにつくられる、イメージ操作用のオモテのストーリー(絵本のような歴史)の裏側には、すべて分厚い研究の裏付けがある。もともと、「占領」とは、戦闘行為は、終わっているが、平和条約を結んで国と国の関係が法的に決着するまでには、法的にも政治的にもまだ
「武器を使わない戦争」が続いていて、日本に決定権がないのは当然のことなわけである。


「降伏文書」→「人間宣言」→「戦争放棄」と重大な政策はすべて、まず、天皇自身に宣言させ、それから日本人に受け入れさせるという基本方針があった。


国連憲章のどの条文にルーツがあるのか、さらにその国連憲章の条文はそれぞれどこにルーツをもっているかについて、調べる必要がある。


①大西洋憲章(米英で基本文書作成・1941年4月) ②連合国共同宣言(26ヵ国参加・1942年1月) ③ダンバートン・オークス提案(米英ソ中で基本文書作成・1944年10月) ④国連憲章(50ヵ国参加作成・1945年6月)
非常に理論的かつ戦略的なやり方で、米英は第二次大戦に勝利し、そのまま「戦後世界」を支配し続けた。


憲法9条とは、完全に国連軍の存在を前提として書かれたもので、自国の武力も交戦も放棄したということである。


指揮権密約「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」という密約が、1981年に、「朝日ジャーナル」がアメリカの公文書から発見して、発表している。


戦争になったら、誰かが最高指令官になるのは、現状ではその人物が米軍司令官で有ることに異議はない。という表現で、吉田茂は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認め、「指揮権密約」が成立することになる。軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」であり、絶対に公表は出来なかった。


1951年9月8日、「吉田・アチソン交換公文」という条約は、朝鮮戦争の開始以来、占領軍からの指示によって行っていた米軍への 兵站(へいたん)活動(後方支援)を独立後も続ける。という意味だった。


日米の間には「日本占領下で行っていた米軍への戦争協力」を今後もずっと継続するという法的な関係が21世紀のいまもなお存在している。日本の歪みの根っこにあったのは、「占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦争協力体制の継続」であった。


1950年6月に朝鮮戦争が始まり、劣勢を強いられ、米軍はどうしても日本の軍事力を利用しなければならなくなり、憲法9条2項の破壊が、日本国民にその実態を完全に隠したまま行われた再軍備への道であった。朝鮮半島に出撃した米軍部隊のかわりに、からになった米軍基地に配備するために、「軍隊そのもの」だったが、「警察予備軍」が発足された。


対米従属の正体に、旧安保条約があり、「戦後日本」という国がもつ大きな歪みの正体が、すべて条文に収縮されている。


「自衛隊と米軍基地は合憲で、海外派兵は違憲」という憲法解釈が続いてきた。


米軍が書いたこの旧安保条約の原案には、指揮権・基地権について、非常にリアルな日米安保の本質が記されていて、軍事面からみた「戦後日本」の歴史とは、つまりは米軍が朝鮮戦争のさなかに書いた安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだった。


安保条約での集団的自衛権を拒否し続けていたのがアメリカ側で、基本的に個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係「相互防衛条約」とはいいながら、相手国への最終的な防衛義務は負わない条文を、意図的に安保改定交渉の真っ最中に意図的に考え出していた。


安保関連法を強引に可決させた安部首相は、日本が集団的自衛権を行使できれば、アメリカと「互いに血を流して守りあう」対等な関係になれると幻想を抱いているが、日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえなく、指揮権密約を見れば解る。つまり集団自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係ない概念である。


「戦後世界の歴史は、法的支配の歴史」であり、「国際法→条約→国内法」という法体系でしばっておけば、自分たちは何もしないで、その国の警察や検察が、都合の悪い人間を勝手に逮捕し、アメリカはコストゼロで他国を支配出来る。戦後世界においては、軍事力ではなく、国際法こそが最大の武器になる。詐欺同然のダレスのグランドデザインが、70年近くの時を経て、すべて現実のものになろうとしている。


公平な目で世界を見わたせば、世界大戦の可能性がほぼ消滅した地球上において、国民の平和の配当を還元することなく、突出した軍事力を維持し続け、国連憲章を無視した他国への軍事介入を繰り返しているのは、ただ一カ国アメリカだけである。


「戦後の日本」という国は、アメリカ政府ではなく、アメリカ軍部(日本を占領した米極東軍を編入した米大平洋軍)によって植民地支配されている。
そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造がさっぱりわかっていない。


サンフランシスコ・システムの法的構造は、安保法体系→日米合同委員会→基地権密約・裁判密約・指揮権密約となっている。これから、「解決策を探す旅」のヒントに、○大国と従属関係に合った国が、どうやって不平等条約を解消したのか、○アメリカの軍事支配を受けていた国が、どうやって脱却したのか、○自国の独裁政権を倒した人たちは、どのような戦略を立てていたのか、を、急いで調べる必要があると、締めている。

権力者とメディアが対立する新時代
マーティン ファクラー (著)


2016年の大統領選挙戦のときから、トランプ氏と、CNNやニューヨーク・タイムズなどの大手メディアの対立が、トランプ氏は対立する大手メディアに対し、「フェイクニュース」と避難し、対して大手メディアも一丸となって、連日のようにトランプ氏への批判的な報道を続け、その対立が面白く、視聴者や読者を釘付けにして、トランプ氏をよくも悪くも特別扱いをしてきた。大手メディア側は、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが主導権を取りトランプ政権にとって望ましくないスクープや記事を連載していて、2紙の折れない姿勢が、新聞読者の支持を受けていて、ニューヨーク・タイムズのデジタル版講読者(220万人)、紙の新聞講読者を合わせると300万人(2017年3月末)となり、この講読者数は過去最高の講読者数である。


トランプ大統領のツイッターフォロワー数は、約3,700万人で、因みにオバマ前大統領は9,400万人(2017年8月末)で、SNSやブログで発信される情報の基本は、自分たちにとって都合のいいストーリーを組み立てているだけであって、それはジャーナリズムとは異質のものといえる。


トランプ大統領を誕生させた一因には、オルト・ライト(オルタナ右翼)と呼ばれる新しい右翼運動があり、白人男性がアメリカ社会から離れ、望ましくない方向の危機感とそれに対する怒りを感じている人々が支持層にある。


2017年8月12日には、バージニア州シャーロッツビルでオルト・ライトのグループメンバー(白人至上主義者・ネオナチ・KKK)が主催した極右集会が開催され、集会反対派が激突して、反対派のデモに車が突っ込み、一人が死亡した事件の後、トランプ大統領が白人至上主義に対する明確な批判のメッセージを出さなかったために反トランプの動きが広まった。


従来の共和党大統領は、グローバリゼーションを推進し、大企業の立場、国際協調を大事にして世界の警察官たるアメリカを踏襲する伝統的な保守層だが、オルト・ライトは、それとは真逆の思想を持ち、反グローバリズム、アンチ大企業、世界の警察官の役目を降りるべきと従来の右派とは全く違う意見を持っている。


マイク・セルノビッチは約34万人のフォロワーを持ち、対立をあおる炎上商法と、「ミーム」(ストーリーやイメージを含めたごく短い語句、フレーズ、ハッシュタグに当たるもの)を使い、個人的なプライベートを攻撃して、対象者を人格を攻撃してステイタスを下げる、敵に勝つために、ソーシャルメディアを使う仕掛けが天才的にうまい人物がオルト・ライト側にいる。


トランプ大統領誕生によって大きな波に乗った新メディアである、「ブライトバート」は自らをポピュリスト、ナショナリズムと呼び、白人男性が自分たちの国の支配権を失いつつあり、女性やフェミニストやマイノリティ―がアメリカを奪おうといていて、自由貿易、移民、海外の戦争のこれらを反対している。また、政府の下にある官僚機構やプロフェショナルの政治家が実質的にアメリカを支配し、常に陰謀を画策している「ディープ・ステート」の一角を成すのが既存の大手メディアであり、ディープ・ステートの陰謀を隠し真実を伝える事はない、エリートたちが一般民衆をだましているという、反エリート主義といえる。


FOXが支持しているのは、共和党の主流派、保守のメインストリームで、そういった場にいるエスタブリッシュメント(支配階級に属する人たち)で、オルト・メディアはFOXを批判していて、大統領選で共和党のアウトサイダーであるトランプを押し上げる原動力になった。


真面目なジャーナリストが、取材して書いたストーリーは、情報の海のなかで忘れ去られていまい、ウソか本当かわからないが印象に残りやすい「ミーム」が人々の中に残り、トロール(ネット上で相手を攻撃する際に誹謗中傷を繰り返す)で意図的に荒らしを誘発させて炎上マーケティングの手法もある。


アメリカはイラク戦争(2003年)の前に、大量破壊兵器について、ニューヨーク・タイムズの女性記者ジュディス・ミラーと若いジェイソン・ブレア記者が捏造記事をつくり話を繰り返して信頼感は失墜した。


メディアの不祥事は昔もあり、映画「市民ケーン」は、キューバでのスペイン人の残虐行為などの捏造記事を報じ、スペイン人に対する民衆の敵対心をあおり、結果的に1898年の米西戦争の引き金となった。フェイクニュースが戦争を引き起こしたのである。


昔は既存メディアに属する人の専売特許だったが、ソーシャルメディアが発達した現在は、普通の人がフェイクニュースを作り出す事ができ、社会的に大きな影響を及ぼす時代になった。


ユダヤ人に対する差別の内容を調べたデーターから、約260万ツイートがあり、その中の7割の180万ツイートは、たった1600個のアカウントから発信され、1つのアカウントから約1000の差別的なツイートが書かれ、つまり同じ団体、人物が繰り返しツイートしている。また、ツイートの8割が10人のジャーナリストに対しての個人攻撃で同じ敵を繰り返し攻撃している。


ヒーローとヒールの二者が争うわかりやすいストーリーを立てて大衆を煽動する手法は19世紀の新聞王、ウイリアム・ランドルフ・ハーストから、現代のブライトバートのスティーブ・バノン氏まで続いている。


トランプ大統領の誕生は、ソーシャルメディアの登場による情報世界の多様化、大手メディアの相対的な弱体化などによる社会の分断がもたらしたものと言っていいだろう。


MSM(メインストリーム・メディア)の一員として新メディアが、「ポリティコ」「プロパブリカ」「バズフィード」等で、本格的なジャーナリズムを志向している。


個人のジャーナリストにおいても、それぞれ個々に差があり、アメリカは日本と違い、メディアのほとんどが記者の名前をバイライン(byline)として記事に記載する習慣があり、ニュースを読むとき、新聞を選ぶだけではなく、バイラインを見て優れた記者を選んで読むことニュースサイトを読む際の秘訣の1つである。オルト・メディアは、注目されていて、「ブライトバート」はその代表的な新メディアで、MSM対オルト・メディアという対立構図が現在のアメリカにはできている。


トランプ氏は2004年から2010年までの間、NBCのリアリティ番組「アプレンティス」のホスト役を務め、人気を博していて、この経験からメディアが何をすれば喜ぶか、メディアをコントロール出来るのかを学んでいて、メディア側もトランプ氏を批判しながらも、結局は彼の術中にはまり、コントロールされていたことは確かだ。


自分のストーリーを伝えるために、自分がヒーローとなって、ヒールと闘うわかりやすい構図をつくる。2016年大統領選挙での最大のヒールは、ヒラリー・クリントン、ワシントンDC、MSMであった。「メディアは敵だ」というミームを効果的に使い、大統領選を成功に導いたといえる。


ニューヨーク・タイムズのディーン・バケ(編集長)は、さまざまな議論の中、トランプ氏を「liar(ウソつき)」という表現を使い、その後、ワシントン・ポストやポリティコなども使うようになった。


トランプ大統領は、ウソをつくことに対して何とも思わない、サイコパス的なキャラクターと言われることまであり、アメリカ大統領史上かつて存在しなかった、破天荒なキャラクターである。


「liar」と批判したあと、次々とメディア側の反撃が始まり、その1つが、新メディアのバズフィードは、根拠が取れない「ロシア絡みのスキャンダル」(モスクワで娼婦などのプライブートな性的行為)で、この裏づけされていない報告書の掲載は議論を巻き起こし、「バズフィードはフェイクニュースだ、MSMはフェイクニュースを垂れ流す」トランプ大統領と支持者は大手メディアの信用を落とす作戦を展開し、トランプ大統領にMSMの信頼性を否定する格好の材料を与えた。


アメリカ社会には、政治に対する批判精神が根づいていて、NBCがネットワーク放送している「サタデー・ナイト・ライブ」コメディバラエティー番組で、政治のパロディや風刺的な内容で、こうした風刺のほうが新聞の政治報道より、権力者などの本当の姿をありのまま見せていることもある。


2012年に亡くなったブライトバート・ニュース・ネットワーク設立者の
アンドリュー・ブライトバート氏は、
「左右の闘いという側面においては、どちらが公的なストーリーをコントロールできているかどうかが大事で、リベラル側が勝っているのは、リベラル側がストーリーを支配しているからで、この新しいブライトバートという報道機関によって、既存のメディアと闘い、勝って、ストーリーを支配しなければならない」と語り、ファクトよりもストーリーの方が重視され、都合のいい「ファクト」を集め、人々の考え方、ものの見方を自分たちの思いどうりにしようとした。


ホワイトハウスの記者会見場の、記者席は、一番前には、AP通信、イギリスロイター通信、ABC等のが座っていて、MSM、MSM新メディア席、周辺には席がない「フローター」と呼ばれている席はオルト・メディアが多く陣取っている。通常は、最初は必ずAP通信が質問にたったが、トランプ政権でショーン・スバイサー報道官は、MSMを無視し、フローターたちに最初に質問させ、大手メディアには質問させないこともあった。MSMのプロの記者たちの質問を封じる作戦があり、また、リーク情報を与えるオフレコの記者会見呼ばれるブリーフィングには、主要メディア記者はさっぱり呼ばれなくなり、呼ばれているのはブライトバートなど親トランプのオルト・メディア関係者ばかりである。


一方、アクセス権を奪われたMSMが
調査報道を以前より活発に行うようになり、政権が望まないようなスクープが連発され、ワシントン・ポストは、ジェフ・ベゾス氏(アマゾン・ドット・コム創業者)に買収されたあと、経営状態はよくなっている。


トランプ大統領はニューヨーク・タイムズを批判しながらも、マギー・ハバーマン氏(女性のホワイトハウス担当記者)のことは気にっていて、彼女によるトランプ氏の単独インタビューは12回あり、中には二人が激しくいいあうインタビューも収録されていた。いずれにしても、表では大手メディアと敵対しているように振舞いながらも完全に接触を断つわけではなく、記者との接点を持ち続け、それを利用しようというのがトランプ流のメディア戦略である。


同じ意見、考え方の人々がSNSなどを通じてコミュニティをつくり、他のコミュニティとは接点を持たなくなり、単なる1つのコミュニティ内の意見や考え方が、実際の社会の現実であるかのように錯覚してしまい、このようなコミュニティにどっぷりと浸かった人は、そこで広まっている意見や「事実」と違った意見や事実は、フェイクニュースと拒絶し、受け入れる能力を持たなくなってきている。「自分の意見と違う意見は聞きたくない」という人の増加は、ネット、ソーシャルメディアが後押ししていて、ここに現代のネット、SNSの危険性があるといえる。


アメリカという「国」を見れば、2016年のGDPは、約18.6兆ドル(2046兆円)になり、一方、日本は約537兆円で、経済力は世界一で有ることは間違いない。


トランプ大統領のスローガン「アメリカファースト」は、グローバリストたちによって損をさせられていると考えるアメリカ人の心には、この言葉は響く事になり、「ドレイン・ザ・スワンプ」(沼地をきれいにしよう)、つまり、ワシントンのエリート、メディアの既得権益を打ち破り、政治を国民に取り戻す意味である。


実はトランプ政権中枢には4人のゴールドマン・サックス出身者がいて、法人税率の引き下げ、個人所得税の根本的な制度革命を進めていて、この制度革命で得をするのは企業や金持ちで、中流以下の家庭にはほとんど恩恵がない、トランプの政策は、社会の上位1%を占める富裕層のための政策である。


トランプ流の政治は、アメリカの歴史から、第3アメリカ大統領、トーマス・ジェファーソン(1801~1809年)、は、当時、アメリカ合衆国憲法の起草者である、初代アメリカ財務長官アレクサンダー・ハミルトン(初の連邦中央銀行を設立・エリートが国を指導すべき)、の進める間接民主市議に対して、エリートたちを打ち破る、権力をエリートから国民に取り戻すと、直接民主市議を主張した。


もう一人、第7代アンドリュー・ジャクソン大統領(1829~1837年)で、アメリカ・インディアン(ネイティブ・アメリカン)に対する敵意を示し、チェロキー族らを、ミシシッピ川の西(現オクラホマ州)に、軍を使って強制移住させ、貧しい白人層に土地を提供した、アメリカ・インディアンの土地を収奪した。「涙の道」


現在のトランプ大統領に最も近いと考えるのが、ニクソン大統領(1969~1974年)で、メディアの不満が歴代大統領のなかでもより激しく、メディアは、公民権運動を支持し、ベトナム戦争は、ケネディ、ジョンソン大統領の民主党政権時代に始めた戦争だったが、メディアは、ベトナム戦争反対の論調になり、ニクソン政権はメディアの批判に耐えきれずに倒れた認識があり、ニクソン政権失敗の教訓から、保守メディアFOXニュースが生まれた。実は、FOXニュースの創業者初代最高経営責任者(CEO)を務めたロジャー・エイルズは、ニクソンのメディアアドバイザーとして活躍した人物である。


日本のように官僚が政策を作るのではなく、アメリカではシンクタンクの専門家が官僚の上にたって政策を策定し、共和党では、マイケル・グリーンや、リチャード・アーミテージだが、彼らはトランプ政権誕生前に、トランプ政権には絶対に加わらないという誓約書にサインし、今のトランプ政権には、政策づくりの専門家がほとんど参加していない。


連邦政府には、大統領が直接、間接に任命する1562のポストがあるが、2017年6月時点で任命されたの人は約40人、議会の許可を持っている人が約80人、まだ約8%しか決まっていない。


安部政権がメディアをコントロールしようとする手法は、トランプ政権に似ていて、安部政権の方が、メディアの対立をあおって、メディアの分断に成功している。


安部政権は好意的なメディアに対しては、さまざまな意味での癒着、馴れ合いを行ってきて、読売新聞のナベツネこと渡邉恒雄との蜜月ぶりは誰もがしるところだ。


吉田証言は、朝日新聞だけではなく、読売、産経、毎日も報道していて、なぜ、正直に取り消した朝日新聞だけが叩かれたか、朝日新聞をたたくために慰安婦報道が利用されたというのが実態だ。実は吉田清治氏の証言は以前から怪しいと思われていて、つくり話であったことが明らかになっている。


朝日新聞社は慰安婦報道の検証のため、第三者委員会をつくり、その委員の一人の、林香里・東京大学大学院情報学科教授は、海外の慰安婦報道の記事数が2006年、2012年にピークに達していて、共に第1次、第2次安部政権の誕生の年である。


社会のなかで貧富の差が拡大し、意外に、日本も貧困率が高く、日本人の6~7人に一人は貧困の状態にあり、雇用形態における、正規雇用と非正規雇用の二極化によってもたらされている部分が大きい。


2017年に入ってから朝日新聞は再び、政権に対してより批判的な報道を行うようになり、森友学園、加計学園報道で、政権を攻撃したが、読売新聞は内部告発者とされる「前川喜平(前文科省事務次官)」が、政権からのリークと思われるゴシップニュースを報じ、人格を攻撃した。


自分が何を見るか選び、好きな情報だけにしか触れなくなっていて、同じ価値観の人々がネットでコミュニティをつくり、他の価値観のグループとまったく交わらなくなり、自分が信じたい主義主張の世界に入り込み、外の世界の真実には向き合わず、自分だけのストーリーに浸りきってしまうと、ネットの虚構の世界が真実であるかのような倒錯に陥ってしまう人も多い。このような幾つかの狭いコミュニティに分かれてしまっていることを、「New tribalism(新トライバルイズム)」と皮肉を交えて呼んでいる。


インターネットの情報を適切に扱う能力、「DQ」デジタル・メディア・リテラシーを高めるために、情報とその発信源がどこであるかを常に意識することが、最も基礎の部分になる。


ネット系のアメリカの新メディアのなかにも、プロパブリカ、バズフィードなど、信頼性を高めていて、日本でも信頼に足りるような新メディアが動き出し、アイ・アジア、バズフィード・ジャパン、ワセダクロニクルも設立されている。


調査報道の非営利団体で、NPOとして初めて登場したのが、1977年に設立された、調査報道センター(CIR=センター・フォー・インデスティゲーティブ・リポーティング)は、タバコ会社がニコチンを極秘裏に増やしている、アメリカで禁止された殺虫剤を発展途上国に輸出し、その殺虫剤を使ってつくられた農産物をアメリカが輸入している、アメリカ海軍が原子力潜水艦や原子力空母などで起きた原子力事故を非公開にしている疑惑を追求し、日本でも、日本のヤクザ、右翼、財界、自民党、国家権力の密接な関係を明らかにした、2005年には、アメリカ政府がアメリカのネットユーザーのデーターを監視しているという報道を行った。因みにスーノーデン暴露は2013年である。


こうしたアメリカで生まれた非営利のネットメディアは、新メディアのモデルとなり、それが世界的に広がってきている。


韓国では、「ニュースタパ」、日本では最も注目度されている、「ワセダクロニクル」で、早稲田大学ジャーナリズム研究所が運営し、運営資金はクラウドファンディングで集め、元朝日新聞特報部出身の渡辺周と木村氏と運営をしていて、渡辺氏は、製薬会社から医師の裏金の調査報道を行った記者で、また、もう一人木村英昭記者は、「吉田調書」の記事を書いた、朝日新聞特報部のエース記事で、共に、2014年に「吉田調書」の記事が取り消しになり、特報部がスケープゴートにされ骨抜きにされた時に、朝日新聞を辞めワセダクロニクルを作った。


朝日新聞特別報道で、衣光隆明記者が東日本大震災の東京電力福島第一原子力発電所事故を原発をテーマにした調査報道連載「プロメテウスの罠」を始め、福島第一原子力発電所の事故当時の所長だった吉田昌郎所長が政府事故調に応じた非公開の聴取記録「吉田調書」を入手して公開するスクープは、同年9月に取り消しになり、結局、特捜部が慰安婦報道の取り消し問題のスケープゴートとなり、この「吉田調書」の記事取り消しなども原因で事実上解体され、骨抜きにされて、福島の原発事故に関しての調査報道さえできないようになってしまった。


朝日新聞社内で、調査報道を重視する姿勢に反対する勢力が存在し、調査報道が行われると、記者クラブジャーナリズムにとっては邪魔になり、役所などに記者クラブを持つ朝日新聞をはじめ、日本の大手メディア、そしてその記者たちは、日本の官僚制度のインサイダーそのもので、官僚体制の一部であり、宣伝機関の役割を果たし、そういったインサイダーとしての特権的な地位はどうしても失いたくない。


一方、調査報道を行うということはアウトサイダーの行為であり、記者は権力内にいるのではなく、読者側にたった権力に対する番犬でなければならない。


ワセダクロニクルは、「買われた記事」というシリーズの調査報道を「製薬会社から電通へとお金が流れ、製薬会社の薬に効果があるという記事を共同通信が配信すると、その対価として電通から共同通信へ成功報酬が支払われる、対価を伴う一般記事が存在する」一般記事を通じた“談合”ビジネスの存在を暴露したシリーズである。


2014年に朝日新聞が吉田清治氏証言の慰安婦に関する記事を取り消した際に、ある勢力がまことしやかに言うようになった、「慰安婦は存在しなかった。慰安婦は朝日新聞がつくった誤報」というストーリーで、「朝日新聞=誤報」というミームも作られた。歴史修正主義者たちが、そもそも慰安婦はいなかったという新しいストーリーを現在も進めている。


今後、フェイクニュースを撒き散らすオルト・メディアのような新メディアが次々と出てくる、また、何よりも日本人の将来に悲観的な見方をしているのが気になる、経済低迷、北朝鮮による東アジアの危機、中国の海洋進出、日本人の危機感がさらに増していけば、デゴマーク的な存在が出てこないとも限らない、今後の日本の進路をどうすればいいのか、メディアのあり方を含め日本人一人一人がよく考えてほしいと願っている。と締めている。