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★「空からお金が降ってきた」警察が出動する騒ぎに…香港、ただし偽札の可能性が高いと…(ANN)&地方のマイカー利用者を圧迫する、自動車税「見直し案」の問題点「走行距離税」が導入されるとどうなるか (ドクターZ マネー現代)&ファーウェイCFO逮捕でバレてしまった「中国という国の本質」長谷川幸洋(ZAKZAK)

「空からお金が降ってきた」警察が出動する騒ぎに…香港、ただし偽札の可能性が高いと…(ANN)




地方のマイカー利用者を圧迫する、自動車税「見直し案」の問題点


「走行距離税」が導入されるとどうなるか 


 ドクターZ




【ニュースの核心】ファーウェイCFO逮捕でバレてしまった「中国という国の本質」長谷川幸洋




米中新冷戦は休戦どころか、一挙に抜き差しならない展開になってきた。中国の通信機器大手「華為技術(ファーウェイ)」の副会長兼最高財務責任者(CFO)、孟晩舟容疑者が逮捕された。



 中国側は当初、外務省報道官が「拘束理由を示さない逮捕は重大な人権侵害」と反発しただけだった。それ自体、新疆ウイグルやチベットでの人権弾圧を見れば「お前が言うな!」という話である。



 ところが、12月10日に事態は大きく動いた。カナダの元外交官で、民間シンクタンク「国際危機グループ」の北東アジア担当アドバイザー、マイケル・コブリグ氏が中国で身柄を拘束されたのだ。翌11日、ロイター通信が報じた。



 孟容疑者の事件との関連は明らかでないが、タイミングから見て「中国による報復」であるのは確実だ。中国外務省は、カナダの駐中国大使に即時釈放を要求し、応じなければ「厳しい結果になっても、カナダの責任」と報復を示唆していた。



 カナダ人を狙ったのは、孟容疑者の身柄が米国に移送される前に取り戻そうという魂胆だろう。中国は反転攻勢に出たつもりだろうが、私はこれで「中国という国の本質が世界中にバレた」とみる。



 中国がいくら、もっともらしいセリフを吐こうと、もう良識ある世界の人々は信用しない。「国際ルールを守らず、身勝手で、自分の言い分を押し通すためには、何でもやる」という「中国の正体」が、これ以上ないほど、鮮明になってしまった。



 孟容疑者が「政府を動かすほどの大物だった」ことも明らかになった。彼女は7つのパスポートを所持していた、と報じられている。そうだとすれば、ただの民間人ではない。国家の利益を代表する「政府公認のエージェント」だった可能性が高い。中国政府の慌てぶりが証拠だ。



一方、カナダ人を拘束するような乱暴な報復は、十分に練り上げられた対応ではなかった可能性もある。周到に準備して仕掛けたのは米国であり、中国は受け身で対応しているにすぎない。しかも、貿易戦争はようやく「90日間の休戦」を勝ち取ったばかりだ。それなのに、今回のカナダ人拘束は、せっかくの休戦を台なしにしてしまうかもしれない。米国の農産品や工業製品の輸入拡大は、一体何だったのか、という話になりかねないのだ。



 私には、孟容疑者の逮捕があまりの衝撃だったために、「我を忘れて、緻密な戦略もなく報復に突っ走ってしまった」ように見える。米中新冷戦は、単なる貿易戦争から、人権と安全保障が絡んだ対立へと局面が変わってしまった。果たして、中国はそこまで計算していたかどうか。



 2010年9月の沖縄県・尖閣諸島沖中国漁船衝突事件が影響した可能性もある。船長逮捕に対して、中国が日本人会社員4人を拘束して報復すると、当時の菅直人政権は腰砕けになって船長を釈放してしまった。中国は「戦果」に味をしめたのだろうか。



 ドナルド・トランプ米大統領は、孟容疑者の逮捕をめぐって、貿易問題と絡めて米司法省に介入する可能性を示唆した。だが、事はそう簡単に運ばないだろう。



 これは、ファーウェイによる機密情報の窃盗と、米国の安全保障が絡んだ問題であるからだ。だからこそ、米国は日本や英国、オーストラリアなど同盟国に対し、ファーウェイと、中国通信機器大手「中興通訊(ZTE)」の製品の使用禁止を求めた。安倍晋三政権が同社製品を政府調達から締め出すのも当然だ。



馬渕睦夫が読み解く 2019年世界の真実──いま世界の秩序が大変動する
(本書の主な内容)
 「国益第一」に考えるトランプと安倍首相が仲良く靖國神社に参拝する秋が……。
 「市場ファースト」から「アメリカファースト」へ。
 「第二次朝鮮戦争勃発の危機は去ったか」
 「グローバル勢力は中国を見放した?」
 「八紘一宇がグローバリズムとナショナリズムの共存を図る」
 「ロシアゲート」と「モリ・カケ」の構図は瓜二つだ。


国家の歴史は「国家に金を貸す者の歴史」でもあり、国家に金を貸し続けてきたのは、FRBの株主であるウォール街の金融資本家たちで、これらの金融の支配権、つまり通貨発行権をにぎっているということを知らずに、アメリカの歴史を理解することは出来ない。この「アメリカの闇」に挑戦しているのが「アメリカファースト」を掲げたトランプ大統領である。


アメリカは北朝鮮の核開発とミサイル開発を半ば許容してきて、その理由として「北朝鮮の背後に“大物”が控えている」と考えるのが自然で、朝鮮戦争以降の北朝鮮の動向を分析すると、北朝鮮を裏で操っている「大物」とは、ネオコン、つまりウォール街の金融資本家の世界戦略の実行部隊で、朝鮮半島有事、北朝鮮の脅威を前にして、周辺諸国は否応なく軍備強化をすることになり、軍産複合体は金儲けができる。


米朝関係が正常化すれば、日朝関係も正常化して、拉致問題の解決をODA(最大1兆円)の前提条件にし、直接拉致にタッチしていない金正恩(キム・ジュンウン)は日本の要求を受け入れやすいはすである。


トランプ以前の、ネオコンに操られていたアメリカ政府は北朝鮮を生かそうとしていて、極論すれば、アメリカが拉致の背後にいたともいえ、拉致問題を黙認したのは、日本と北朝鮮を対立させるためであり、近隣国に反日を煽って「日本封じ込め」という戦後の東アジアレジームを維持していた。


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FBIがなぜ「ロシアゲート」と称される騒動は、反トランプ派、ユダヤ勢力の仕業で、今までユダヤ勢力がアメリカの政治を握ってきていて、トランプの登場で勢力図が変わろうとしている。それを阻もうとしている。


注意しなければならないのは、トランプもユダヤ勢力をバックにしていて、トランプの背後にいるのは「イスラエルユダヤ」あるいは、「民族ユダヤ」で、イスラエル国家を大切にするユダヤ系の人であり、一方、アメリカの政治を握ってきたのは、「経済ユダヤ」「グローバルユダヤ」と呼べる人たちである。


民主政治は選挙は重要であるけれど、実は操りやすいという欠点があり、お金、メディア、機器で操れる。電子投票はまともな選挙は行われなくなる。


防衛省は背広組の内局だけでなく、制服組も基本的には東京裁判史観の左翼が多く、内部で出世する人はだいたい左翼であり、東京裁判史観を正そうとする稲田氏を煙たがった。同様に、日本は侵略国家ではなかったという趣旨の論分を書いた元空幕寮長の田母神俊男さんも、それが原因で「解任」された。


日本の官僚組織は長い間、東京裁判史観を守るが、反東京裁判史観の人が大臣になろうとものなら、抵抗し、時には引きずり下ろされ、防衛省でも外務省でも法務省でも、「河野談話は間違いだ」「南京大虐殺はなかった」と声高に呼ぶ大臣や副大臣などが上に来たら、事務局は相当引くことになる。


2015年8月14日の安部総理による「戦後七十年談話」は、そんな東京裁判史観に一部穴をあけた。しかし、戦後の世界秩序の構成部分であった東京裁判史観を完全に否定するまでには至らなかった。


トランプ大統領は「すべての国は自国の利益を優先する権利があるという理解の下に、世界の国々と友好関係を求める」と世界に向けて発信した。
また、「アメリカは目に見える軍事的侵略を受けているわけではないが、国民が侵略と気づかない形でアメリカ社会は破壊され、国民が分断された」「外国の破壊行為から私達の国境を守らなければならない」と強調した。これが、グローバル化した世界における目の見えない侵略である。


安部総理におかれては、まずは靖國神社に参拝して、国民も一人でも多く参拝し、これが国民の精神的自立の第一歩で、「空虚な言葉」つまりポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)はいらなく、重要なのは具体的な「行動」で、日本人としてのアイデンティティを取り戻すことに直結している。


次回トランプ大統領が訪日した際に 彼が靖國神社に参拝する可能性は十分あり、その時「東京裁判史観」は崩壊するだろう。


憲法を改正したいという実績をつくるなら、憲法八十九条から手をつければよく、八十九条(「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」)は私立学校への公金の支出を禁じていが、現実には政府や地方公共団体が私立学校に補助金を交付していて、政治が憲法違反をしている。これが改正されなければ、私立大学への補助金は廃止せざるを得ない。


憲法九条の改正に関して、アメリカグローバル勢力は関心がないが、問題は中国で、憲法改正の防止を図り、自衛隊を正式に認知させないことは中国の利益、国益に絡んでいて、改憲反対を叫ぶ人の背後に中国がいると見ている。


今回の譲位は実は、“謀略”ではないかと思っていて、公務の負担が重ければ摂政を置けばよく、天皇の基本的な役割は、日本国家を「知らす(治らす)ということで、「知らす」とは日本を纏めるということで、天皇が日本を纏める中心になるということである。


天皇陛下は神官であり日本の伝統的な宗教感情を体現しておられるお方です。だからこそ、百二十五代も続いている。ヨーロッパの王室と同じような、プライバシーを重視するような皇室だったら、いらないと思う。


天皇は祈りによって日本を守ってこられました。天皇陛下の祈りがなくなれば日本は滅びます。日本列島は残っても、日本の國体は滅びる。


天皇陛下のご公務の本質は、現行憲法の下でも、明治憲法の下でも、また憲法が存在する以前の時代でも変わることなく、大御心の実践てもあり、今上天皇も、天照大神が降臨する邇邇芸命
(ににぎのみこと)に授けられた天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)の精神を体現しておられるのです。


女性宮家創設問題の議論に個人主義の議論が持ち込まれる危険があり、愛子様を天皇にすると、独身ならいいが、問題は結婚されたときで、旧皇族と結婚されるのだったら、万世一系の皇系は何とか保たれるが、民間人と結婚されたケース、もっと言えば、外国人と結婚されたケースでは、日本の國体が変わってしまい、そんな「女系天皇」になったら日本を乗っ取ることができる。とにかく女系天皇は日本の伝統を断ち切る恐れがある。


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2017年4月6日、アメリカがシリアの軍事施設を巡航ミサイルで空爆したが、戦果は華々しいものではなく、フロリダで米中首脳会議の時期に合わせて実施され、北朝鮮に対し、挑発行為を止めなければ軍事攻撃をするとの強硬なメッセージを兼ねていて、その米国の強硬姿勢を習近平の眼前で突きつけ、これまで北朝鮮を庇護してきた中国に対し、北朝鮮の挑発行為を止めさせるために具体的行動をとるようにといわば“最終通牒”であったと解釈している。


北朝鮮は表向きは気丈夫なことを言っても内心は驚愕したはずで、従来のアメリカ政権による事実上の北朝鮮温存政策にどっぷり浸かってきた北朝鮮政権にとって、トランプの本気度は驚天動地のショックだったといえる。


一方、ロシアへの計算された配慮が配慮が窺え、二時間前とはいえ空爆の事前通知をしたことは、シリアの最大の利害国ロシアへを考慮したものである。空爆直後のタイミングでティラーソン国務長官が訪露してプーチン大統領やラブロフ外相と会談している。これは、つまり対露強行派である共和党主流派に対するガス抜きである。


ネオコンがプーチンを敵視する理由の一つは、プーチンがユダヤ資本を抑圧したことで、「ロシアのユダヤ資本」がエリツィン大統領の時に七つ出来たといわれ、そのユダヤ系財閥をプーチンが次々と潰していった。


ユスコという石油会社のCEOだったホドルコスキーは、メジャー(エクソンモービル)にユスコの株を売り渡そうとしたが、プーチンが介入し、脱税容疑で逮捕されシベリアに送ってしまった。2003年の「ホドルコスキー事件」民営化されていたロシアの石油資本は、事実上、メジャーズがシュア出来たが、ロシアの資源を押さえようとした国際金融資本勢力とネオコンにとって大打撃になり、この事件をもって、米露の間で本当の意味での「新冷戦時代」が始まった。


北朝鮮の核兵器を認めることは今までのネオコンの方針だったが、国務長官だったティラーソンが2018年3月に電撃解任され、CIA長官だったマイク・ポンペオに代わり、すでに就任前に訪朝し、金正恩とやり合い、アメリカ人の人質を連れて帰った。国務省に少しずつトランプ色が広がっている、CIAやFBIもトランプ派と反トランプ派に分かれていて、援軍がまだ十分ではなく、今、調整時期である。


ところで、2017年11月にジェームス・パウエルが連邦準備制度理事会(FRB)の次期議長に指名されたが、彼はユダヤ系ではなく、それまで30年以上、ユダヤ系の金融関係者が就任していて、ユダヤ資本家の定位置だった議長のポストをトランプは剥奪した。当然、彼等は猛反発した。しかし、トランプは、ケネディ暗殺の機密文章の公開をチラつかせ、パウエル議長が認められ、機密文章の公開は見送られ、一戦を越えれば、トランプ暗殺の危険性も十分に考えられる。


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オバマ大統領の時代、北方領土問題に進展は全く見られなく、外務省が日露関係の改善を好ましく思わないアメリカ(ネオコン)の意向を忖度していた。また、対中、対韓外交も問題を起こさないことが最優先されていた。


最近、中国は日本に対して、「威圧外交」を改め、「微笑外交」を展開していて、国内経済的には深刻な状況にあり、何とかしてAIIB(アジアインフラ投資銀行)と一帯一路構想で日本の資金協力を得たいからで、中国にはいま外貨が不足していて、また、経済成長の鈍化や国営企業の財務状況の悪化、不動産バブルの崩壊など、日本に助けてもらわないとやっていけない。


スリランカはハンバントタ港の建設のために資金を6%以上の利子で中国から借り、金が返せなくなって、2017年に港を中国国有企業に引き渡している。日本が主導するアジア開発銀行から借りたら、利子は0.75%位である。


中国を観察する上で重要な視点があり、①共産党による独裁国家。②中国人は超個人主義者である。③中国人に国家観はない。この視点から中国を眺めれば、共産党による独裁体制は、経済の衰退とともに崩壊することが予想できる。いずれにしても、中国はトランプ政権誕生により、これからは日米を離間させて、日本をたぐり寄せるための「微笑外交」を展開していくことに、それはアメリカの対中態度が今後ますます厳しいものになるとならんでいる。


ジャック・アタリが、2025年までに、中共の一党支配は終わり、これはグローバリストにとって中国の共産主義が必要でなくなったことを示唆しているが、トランプ大統領が中国を念頭に置いた、鉄鋼、アルミの輸入制限措置の発動を命じる告示に著名したのは米朝首脳会談開催合意の日で、偶然にしてはでき過ぎている。また、トランプ大統領は中国の一帯一路構想に冷や水を浴びせるような「自由で開かれたインド大平洋戦略」を打ち上げたが、これは「海のシルクロード構想」を相殺する戦略で、習近平が焦らないはずがない。「インド大平洋戦略」は、もともと安部総理が提唱した構想である。


中国の工作に対して国民の警戒心を高める必要があり、石破茂氏は、いわゆる「南京大虐殺」について当時の日本軍の行動を批判しているなど、明らかに中国の影響があり、憲法改正においても、その背後に中国の影を見ている。


朝日新聞の中にニューヨークタイムスの支局があり、NHKの中に中国の中央電視台の支局があり、これらは反日工作の基地になっていて、いわばNHKと朝日新聞は「反日の巣窟」である。


2017年7月7日、ドイツのハンブルクで、G20首脳会議の中で最も注目されたのは、当初の30分予定を超過して、2時間15分もの長時間の会談となった、トランプ大統領とプーチン大統領との会談であった。


日本とロシアの関係は、着実に交渉が進んでいて、重要な点は、経済協力と領土交渉は同じ次元の問題で、つまり、両者の共通項は「安全保障の問題」で、プーチン大統領の目指す「ロシアの新しい理念」という基本哲学に基づいてロシア国家を再生させることが悲願で、ロシアのハイテク産業化を目指していて、史上最高の指導者になるためには、経済の近代化を成功させる必要があり、外部勢力による経済侵略を阻止することにつながり、その際、ロシアが頼ることのできるパートナーは日本以外に見当たらない。


ロシアは歴史上外部からの侵略に晒されていたことを物語っていて、ロシアの関心は何をおいても国家の防衛で、ロシア国家を安全にしてくれる指導者こそ、ロシア国民が待望するリーダーである。


現在、欧米の経済制裁を受けているロシアの国際的環境は、2013年末のウクライナにおける反政府デモに始まったが、ウクライナ危機を演出したのは
アメリカのネオコン勢力である。


北方領土問題では、ロシア海軍がオホーツク海から大平洋にでる交通の要衝でもある、原子力潜水艦の通路を何としても確保したい軍の思惑に配慮し、プーチンは、「日米安保が適用されるなら問題だ」と発言していて、
北方領土が返還されるなら、そこにロシア軍を駐留させてもいいとさえ思う。北方領土問題は安部総理とプーチン大統領の二人によって政治決断される以外に解決の道はなく、この機会を逃せば、二度とチャンスが巡ってこないかもしれない。今年が北方領土交渉の正念場になると楽観も悲観もせずに期待している。


アメリカ大統領の靖國神社に参拝は非常に重要なことで、トランプ大統領に安部首相と二人並んで堂々と正面から靖國に行って昇殿参拝をしてもらいたい。


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EU擁護派の傲慢な態度は、1990年秋のサッチャー首相の退陣を彷彿させていて、EMS(ヨーロッパ通貨システム)への参加を渋っていたサッチャー首相に対し親EC(ヨーロッパ共同体)派の保守党議員が反旗を翻したため、退陣を余儀なくされたが、ドロールEC委員長は、サッチャー退陣は自分たちが仕組んだと、記者会見で仄めかした。


ユーロ加盟国の財政政策は赤字幅をGDPの三%以下に抑えるという一定の制限の下に各国の裁量に任されている一方、金融政策はEUが独占していて、これでは加盟各国が金融と財政のバランスを取った効果的な経済運営など、できるはずがなく、ギリシャ債務危機はこの矛盾に原因がある。


では、EUとは何か、巨大な「市場」で、たとえ国益に反していても加盟国の法律を越えた市場のルールに従わなければならなく、つまり、EUという市場のルールが最高法規である。イギリスにおける国民投票の争点は市場の横暴に対する国家の反撃であった。EUはグローバル化の一つの実験だった。


大衆はあたかも自分たちの意見を持っているかのように、目に見えない勢力によってコントロールされていると喝破したが、この「目に見えない勢力」こそ「メディア」であり、メディアがアメリカの影の支配者であり、百年間、メディアに洗脳されてきた。それが2016年の大統領選挙では通用しなかった。そういったメディアの世論誘導を防止したのは、昨今力をつけてきたネット情報で、アメリカの一般の人たち(ピープル)が、メディアが上から目線で説教する人種平等、人権尊重、女性の権利、マイノリティー保護などのポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)にうんざりしたことが決定的だった。その意味で、2016年の大統領選挙の最大の敗北者はアメリカのメディアだった。


国民世論を操作する勢力、すなわちメディアが真の支配者であるというのは、メディアの所有者がアメリカの真の支配者であり、メディアの所有者は、突き詰めればアメリカ金融資本家に代表される軍産複合体のことであり、その尖兵であるネオコン勢力となる。今アメリカで行われているのは百年にわたる支配体制の転換、すなわち政治革命である。


グローバル市場化を実現する上での最後の障害となっているのが、国境を越えた人の移動が自由に行われてないことで、アメリカ社会の分断をもたらしたの象徴が移民である。トランプ大統領の挑戦は世界のグローバル化勢力との戦いである。


保守と見なされている知識人に見られる共通の誤りは、歴代大統領がとってきた、自由や民主主義を口実として他国の内政に介入する国際干渉政策が、国際秩序の維持に貢献してきたと判定することで、アメリカの世界戦略のために様々な口実を設け、時にはウソの情報を流して世界を欺いて戦争を行ってきた。アメリカの国際関与政策の失敗の結果、世界秩序は崩壊していた。


ナショナリズムは決して他国を排撃する思考ではなく、自国を大切に思う素敵な感情で、ナショナリズムこそ国家建設の土台であり、国民意識を育てる触媒である。「アラブの春」の洗礼を受けた諸国の惨状は、ナショナリズムを破壊された国が国家の紐帯を失い、結局無法地帯に墜落することを示している。


グローバリストが使う普遍的価値がもたらす危険性は、普遍的価値と言われる自由、民主主義、平等、人権、人道などには確立した定義がなく、何より問題なのは、普遍的価値を口実に他国の内政に干渉することが容易となり、ひいては戦争することも可能となっていて、醜い(みにくい)戦争を仕掛ける尖兵なのである。


世界の主要メディアは今後とも「ナショナリズムの復権」に警鐘を鳴らし続け、そのようなメディアの態度は国民を愚弄するものと言わざるを得なく、自国を大切にするナショナリズムこそ普遍的価値といえる。今こそナショナリズムの復権が必要である。


国際連盟から国際連合に至る歴史を見れば、国連が世界統一を目指した機関であることが腑に落ちるはずであり、国連は世界のグローバリゼーションを推進する機関であり、「国境をなくして、世界を一つにしょう」という発想を持った恐るべき組織体である。


現在の正統派歴史観を一口に言えば、「アメリカを筆頭とする連合国は正義であった。ドイツや日本などの枢軸国は悪であった」という第二次世界大戦の戦勝国史観で、ルーズベルト大統領の戦争指導を正当化する必要があった。連合国の戦争犯罪を隠蔽するためで、歴史の見直しを求める者を「歴史修正主義者」とレッテルを貼って抹殺する。


ロシア革命は決してロシア人による帝政打倒の革命ではなく、ユダヤ系の職業革命家によるロシアにおけるユダヤ人解放のための革命で、結論を言えば、ロシア革命を支援した人々がアメリカやイギリスのメディアを握り、ロシア革命の虐殺の実態が明るみに出ないよう、ヒトラーという極悪人を糾弾(きゅうだん)することによって隠蔽してきた。今、アメリカの歴史学者の大御所は、だいたいユダヤ人で、そういう人たちが、自分たちの都合のいい歴史をつくっていて、ユダヤ系が多いメディアはそれに荷担し、安部首相も「歴史修正主義者」というレッテルを貼っている。ロシア革命の真実に迫ることによって、私たちは20世紀以来の「フェイクヒストリー」の呪縛から逃れる契機としなければならない。


2016年11月に、一貫して反グローバリズムの政策を採ってきたキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長がなくなったが、中国や北朝鮮とは全く異なる共産国家で、44年にわたり権力の座にあるカリスマ的指導者は、長期政権の秘訣に「ビジョンと情熱」と答えていて、権力の腐敗が殆どない、世界でもまれな政権をつくりあげ、彼には不動の哲学があり、物質的な欲望は決して人間を幸せにしないという確信で、今日のグローバル競争に見られる物質的な経済成長を重視しなかった。


キューバの人種構成は大まかに言って白人25%、黒人25%、両者の混血50%で、カストロ革命以降、キューバは白人文化と黒人文化を融合させてまったく新しい文化を創造した。音楽とダンスはアフロ・キューバン文化の典型といえる。


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経済における「復古」とは、日本の生産主義、ものつくり主義に戻ることで、今のグローバル経済は「ものつくりは奴隷にやらせておけ」それを右から左に動かして、お金を儲ける」ものつくり経済ではなく、生産に従事する労働者を犠牲にするのがグローバリズムで、実は共産主義は労働者を搾取する体制だった。


今、日本経済がどんどん共産主義化していて、それを物語る一例が、コーポレートガバナンスコード(企業が遵守すべき行動規範を示す企業統治指針。企業の価値を高め、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み)で、共産主義体制の経済体制で、企業を解体していくわけである。


派遣制度が出来たのは冷戦崩壊後まもなくで、グローバリズムの突破口といえて、コスト削減という大義名分の下に、派遣社員が増え、日本企業の国際的競争力が弱まった。終身雇用と年功序列のおかげで日本は経済発展ができた。また、「競争」は必要だけれども、「闘争」は必要ではない。


欧米は「働くことは苦痛」という発想は、キリスト教では神が罰として人間に労働を与えた思考があり、日本政府が働き方革命を進めていけば、日本経済は悪くなる一方で、「労働力はコスト」としてとらえられ、「コストであるならば、低い、安いほうがいい」という発想しか出て来ないため、低賃金の流れをつくりだし、日本を「退化」させている。


外国人の労働者の単純労働者の受け入れは、「小子化だから外国人を入れなければならない」という前提がそもそも間違いで、低賃金で働こうという日本人がいない、それを「今、人手不足で大変だ」と企業や官僚がごまかしていて、日本人の使える人材が活用されていないことが問題である。また、特に基幹産業である鉄道関係、電力関係に外国人労働者を入れるのは危険である。


民営化ビジネスには罠があり、電力、水道の民営化は、やってはいけなく、南米ボリビアなどでは、水道の民営化で水道料金が上がり暴動がおきている。浜松市もフランスなどの企業に水道事業の「運営権」を売却していて、このような「民営化」は非常に危険である。


古来、日本列島にはさまざまな地域から人がやって来ていて、ポリネシア人、大陸人も半島人も来ていて、しかし、みんな日本で同化して「日本人」になっていた。それだけ日本列島は同化力が強かった。


外来思考を日本化する力、土着化する力があるから、外来思考が入ってきても構わないが、土着化が不十分だと混乱が生じ、戦後は共産主義、社会主義、ある意味では自由主義が入り日本の政治も社会も混乱した。


マイノリティがジョリティと同じ権利を持ったら、その社会は必ず混乱する。ニホンはフェミニズム、男女共同参画という言葉で籠絡(ろうらく)され、自由党政府によって推進されてもきた。


グローバリズムにとって、日本のような伝統文化を持った国というのは非常に扱いにくく、世界を統一するために必ず分断させなければならない国はアメリカ、ロシア、日本で、グローバリストのターゲットがこの三カ国であり、トランプ、プーチン、安部の三人の政治家はグローバリズムに対する哲学が似ていて、この三人が組むことができれば世界は安定化する。


グローバリズム勢力と、それに対抗するナショナリズム勢力の戦いを別の視点から見れば、「物欲」対「精神」の戦いであり、グローバリズム的な生き方と民族的な生き方の両方が必要であり、両者のバランスを取って国の発展を図ることができるかが問われていて、共存の点を探ることが求められ、両者の架橋する思考が、わが国の伝統文化の中に見出せる。それは「八鉱一宇(はつこういちう)」の精神で、「八鉱一宇」という言葉は戦後GHQによって世界侵略を正当化する危険思考として使用が禁止されれた。しかし、実際の意味は、世界の平和を願う調和の思想で、西洋流にいえば「一つ一つの楽器が違う音色を出すけれども、全体としてまとまった曲を演奏するオーケストラ」にたとえることができる、「役割分担史観」と呼んでいる。


トランプ大統領の国連演説で「各国は主権を維持しながら、国連という屋根の下で共存する」という主張は、「自国ファースト」の思想はこれからの世界で広がっていくだろう。こういった「自国ファースト」の思想はこれからの世界に広がっていき、主権国家を単位とした世界の枠組みに移っていき、1648年に成立した「ウェストファリア体制」に戻るべきだと締めている。


非常に参考になる、今、日本社会がいい方向に流れていない感覚を持つ人は多いと思うが、その見えない社会構造を感じる事が出来ると思う、やはり日本社会の問題は官僚制度、国家公務員試験制度が挙げられ、世間知らずの官僚が、ユダヤ系ネオコンの見えない圧力に巧妙に利用され、利益配分を吸い上げられるスキーム(現代版奴隷制度)があり、それに対抗する為には、日本人の各業界の有識者が、官僚に入り込むしかないだろう、何十年と解決すら出来ない、少子化問題、デフレ問題等、確かに、トランプ大統領が靖国神社を参拝したら(笑)、日本人の意識が変わるかも知れない、しかし、官僚内にどれだけスパイと、スパイに洗脳され業務をこなす役人がいるのか、(洗脳されないと出世も出来ないだろうが)考えるだけで恐ろしくなる。少し仕事の量を減らして、役人含めた、日本国民に読んでもらいたい。

  9.11後の現代史 (講談社現代新書) 新書 酒井 啓子


1970年代、日本が高度成長を果たした時期、オイルマネーがふんだんに手に入って同じく高度成長を目指していた中東諸国に、一時期、駐在する日本人ビジネスマンは、一万人を越えていたが、今や、多くの中東諸国が、外務省が「渡航に注意・警戒を要する」と指定しなければならない国になってしまった。


1.イスラーム国(2014年~)


ISが残した最も深刻な爪痕は、宗教的、宗派的、民族的に共存していたイラクの人々の間を、修復不能なまでに引き裂いたことで、それは内線の続くシリアでも同じだろう。


ISは、一介の「テロ集団」とは思えない組織化され、モースル制圧から、北部最大の製油所があるベイジや、ティクリート、イラク西部、ファッルージャ、カーイム、ラマーディの都市を1週間もたたないうちに掌握し、銀行や行政機関を真っ先に掌握し、イラクという「近代国家」が「ISという国家」に乗っ取られようとしていた。


ISが「カリフ国家」を宣言させたのは、世界のイスラーム教徒に衝撃を与え、第一次世界大戦まで、カリフ制という国家体制で、1300年弱も続いた統治方式が終焉した、オスマン帝国が列強に敗北したことの結果で、「カリフ制」の復活を繰り返し実現したが、実際に再興を実現した国家はなかった。


「カリフ国」樹立宣言と並行して叫ばれた「サイクス・ピコ協定体制の打破」(英仏露がオスマン帝国の領土を山分けした密約)という主張は、中東の人々の胸に刺さるもので、既存の国際社会への強烈な脅威であるとともに、一部の人々にとっての魅力となったのである。


ヨルダン人のアブー・ムスアブ・ザルカーウィは、イラク戦争後、反米・反政府武装活動にテクニックを与え「テロ集団」として組織化させ、イラクだくではなく世界に「残虐なジハード」の姿を定着させた。


アメリカとその協力者、シーア派を抹殺対象としていたのが、ザルカーウィで、そして、「イラク・イスラーム国」は、そのザルカーウィの残党により設立されたといえる。


アブー・バルク・バクダーディは、イラク戦争後の混乱のなかで米軍に逮捕され、最悪の環境にあった米軍の収容所に溜め置かれたことで、たくさんの反米活動家や武装闘争員や単に無実の罪で捕縛されたイラク人たちと交流し、その過程で、ザルカーウィ型のジハード主義を存分に吸収した。バクダーディはイラクのサマッラー出身で、イラク・イスラーム大学で博士号を取得したイスラーム法の専門家だった。


ISが弾圧したのは非イスラーム教徒だけではなく、シーア派に対する徹底した否定で、ISの襲撃当時、モースル周辺を警備していたのはシーア派中心のイラク治安部隊だったが、彼らはISによる集団殺害の対象となった。


インターネット上でISが展開する巧みな公報戦術などから、世界中からISに参加していて、シリアとイラクにおける外国人戦闘員について、チュニジア人で6000人、次いでサウディアラビア人2500人、ロシア人2400人、フランス1700人、ドイツ・イギリスともに760人、ベルギー470人、オーストリア・スウェーデンともに300人、インドネシア700人、中国300人、アメリカ150~250人程度が流入している。


その根底には西欧社会における差別、イスラーム系住民の居場所のなさが存在し、ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢(いっし)報いてやりたいとシリアに馳せ参じたのである。


西欧で鬱屈した若者を惹きつけたISは、彼らに「世界各地で武器を持って立ち上がる」よう、呼びかけ、2015年11月に、パリ同時多発テロ、から、「シャルリエブド」本社襲撃事件、ベルギー首都ブリュッセル空港と地下鉄を狙った爆破事件、アメリカ・フロリダ州で銃乱射事件、フランスのニースでトラックの暴走による襲撃事件、バングラディシュ・ダッカでの喫茶店襲撃事件、トルコ・イスタンブール空港襲撃事件、イラン・バグダート繁華街での自爆事件、暴力に何か正当性や大議、理由をつけてくれる集団が世界のどこかに有れば、それに連動して自らの暴力衝動を発揮する類のテロもあり、イスラームが暴力化するのではなく、暴力性を抱えた個人や集団が、それを正当化するためにイスラームを利用している場合もあった。


2.イラク戦争(2003年)


イギリスのイラク戦争参戦経緯と戦後処理を検証する独立調査委員会(通称チルコット委員会)は、イラク戦争が理も大義もない戦争だったと開戦から13年を経て、開戦当事国の公的な機関で認められた。「イラク戦争がなかったらISは生まれてなかった」とトニー・ブレア元首相自身が述べた言葉である。


2003年2月の国連安全保障理事会で当時のコリン・パウエル米国長官のパウエル報告書がイラク戦争を正当化しようとしたが、報告書に使用された証拠の多くが捏造だったり剽窃(ヒョウセツ)だったりしたことが後に判明した。


2003年3月20日に有志連合軍(米・英・オーストラリア・ポーランド)は、バグダードを始めとするイラク各地に大規模な空爆を行い、42日で終わっている。戦後イラクの占領統治に入った米軍とブッシュ政権は、軍や治安部隊、バアス党の解体、旧体制関与者の大規模な公職追放で、民主化することがアメリカの使命だった。


イラクに米軍が国際社会の合意も正当な理由もなく軍事侵攻し占領している事実は、中東のみならず世界のイスラーム社会全体に対米不信を生み、そこから反米を掲げてイラクの米軍を攻撃しようと考える武闘派が、イラクに反米武装組織(サウディアラビア人・リビア人がメインで、その他シリア人・イエメン人・アルジェリア人)が合流し流入し、反米攻撃を主導し続けたのが、ヨルダン人のアブー・ムスアブ・ザルカーウィ(2006年米軍に殺害)だった。


イラク国民の政府に対する不満は、宗教性や政治的志向に向けられているのではなく、最大の批判の的は、腐敗と汚職だった。


ムタタダ・サドル(シーア派の宗教権威ムハンマド・サーディク・サドルシを父に持つ)が率いる国内組勢力は、貧困層や若者層を中心に絶大な人気を誇り、IS後のイラクが本格的な復興を進められるかどうかは、こうした「国内組」の政治勢力がいかに国民の声に応えていけるかにかかっている。


3.9・11(2001年)


アメリカのネオコンの「民主主義の輸出」思想は、1970年代頃から民主党の一部に育まれてきたが、その後共和党のレーガン政権(1981~89)の中で影響力を強めていき、民主主義の輸出のためには軍事的手段も辞さない、という発想から、予防攻撃や軍事的制裁を志向していったが、それが国民的支持を得、アメリカの安全保障観の転換をもたらしたのは、9・11米国同時多発テロ事件に他ならない。


2001年9月11日、ハイジャックされた飛行機は全部で4機、双子の世界貿易センタービル(WTC)と国防総省ビル、ホワイトハウス(失敗)が攻撃対象とされた。


実行犯は全員で19人、うち15人がサウディアラビア、2人がアラブ首長国連邦(UAE)、1人がレバノン、1人がエジプト人(ムハンマド・アタは、リーダー各の犯人で、最初のWTC北棟に突っ込んでいる)で、実行犯はアルカーイダのメンバーである。米政府は、アフガニスタンに対してビン・ラディーンの引き渡しを要求したが、アフガニスタンのターリバーン政権はこれを拒否、ブッシュ政権は、10月7日、アフガニスタン戦争を開始する。


1991年の湾岸戦争(クウェートに軍事侵攻したイラクを追い出すため)でビン・ラディーンは反米活動を展開し始めた、イラクに脅威を感じていた、サウディアラビアは、アメリカに国防を委ねる決断をするが、メッカとメディーナというイスラームの聖地をサウディ王家は護る者。その存在意義であるはずの両聖地を異教徒の兵士を招き入れることに反対した、その最たる例が、サウディアラビアの大財閥ビン・ラディーン一族の六男、ウサーマ・ビン・ラディーンで、彼は、1994年にはサウディ政府から国籍剥奪、一族からも追放され、その後スーダンに身を寄せ、国際圧力によって追い出され、アフガニスタンに拠点を築いた。


ビン・ラディーンは、米軍への宣戦布告演説を行い、アメリカ人全てが標的だと公言し、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館を爆破した、その報復として、クリントン米政権は、スーダンとアフガニスタンをミサイル攻撃をした。


ビン・ラディーンは20歳代半ば以降、ソ連支配下のアフガニスタンに馳せ参じ、反共抵抗活動に身を投じていて、1979年のソ連軍のアブガニスタン侵攻があり、アフガニスタンで反ソ連勢力を育てあげるために、サウディアラビアが集めたイスラーム義勇兵をパキスタンの協力を得て軍事訓練を積み立派な反共ゲリラ戦士(後にアラブ・アフガンと呼ばれる)を育て、その中にビン・ラディーンがいた。1989年に、ソ連がアフガニスタンから撤退を開始すると、アラブ・アフガンの役割が終わったところ、1989年8月に約300人が結集した。それがアルカーイダになる。


ビン・ラディーンは、湾岸戦争を機に、アメリカを最大の敵と考えるアラブ・アフガンたちと、1996年に成立したアフガニスタンのターリバーン政権のもとでアルカーイダとして勢力をつけていった。


一方、G・W・ブッシュ大統領は、9.11で「テロの被害者」となり、支持率を一気に5割前後から9割弱に高めることに成功し、その勢いにのって大統領は、圧倒的な支持を以て議会から「軍事力行使の権限」を付与されたのである。


アメリカは世界中のすべての「テロリスト」を追いかけて戦争をしてまわる、「ブッシュ・ドクトリン」では、「必要とあらば自国防衛のために予防的行動をとる」として、脅威に対して予防攻撃も辞さないと述べた。


アメリカの攻撃対象となる中東諸国に与えた衝撃は、甚大(じんだい)だった。少しでもアメリカに「テロリスト支援」「非民主的」と疑われて、政権を倒されたらかなわない、あわてて形式的な民主化や軍備縮小行い、リビアのムアンマル・カダフィ大佐は、核廃棄方針に舵を切った。ビン・ラディーンが殺害された2011年5月には、奇しくも各地のアラブ諸国に政権打倒の大波が押し寄せていた。


4.アラブの春(2011年)


2010年12月17日、チュニジアの地方都市で、路上で出店を営んでいた、青年が焼身自殺を切っ掛けに、人々は路上で抗議デモを始め、チュニジアの大統領ゼイン・アルアービディーン・アリーは、アメリカに亡命を余儀なくされ、23年間続いた長期独裁政権は突然終焉を迎え、アラブ諸国のほとんどで、軍事政権を持つほとんどが10年~40年の長期政権であり、民衆による政権転覆への試みは、瞬く間に他のアラブ諸国にも広がった。アラブ諸国で民衆デモが起きなかったのは、カタールとUAEだけだった。


「アラブの春」はアラブ世界を越えて広がり、ニューヨークのオキュパイ運動、香港の雨傘運動、台湾のひまわり運動などの市民運動が起きた。だか、ヨルダン、モロッコ、アルジェリア等では政府による改革案や妥協案が提示され活動が終息した。だが、チュニジアやエジプトに続いて比較的複雑な経緯をたどったのが、リビアで、42年間のカダフィ政権の独裁体制が2011年8月27日に終焉した。


一方、シリアは71年に、現大統領の父ハーフィズ・アサドが政権を担って以降、圧倒的な盤石性を持つ長期の一党独裁体制で、ハーフィズ・アサドは2000年に死亡し、息子のバッシャール・アサド(イギリスの眼科医だった)が後を継いだのだが、2011年3月、南部の国境の町ダラアで壁に政府批判の言葉を落書きした子供が逮捕され拷問を受け、この事件が国内外に伝わり、各地で政府批判デモが繰り広げられ内戦が長期化した、その原因には、国内で広く民衆の意思を代表できる勢力が反対側にいなかったことと、周辺諸国や欧米諸国がご都合主義的に介入したりしなかったりの態度が、シリア内戦の悲劇になった。


2016年までに47万人のシリア人が死亡し、国民の半数弱が家を追われ、その4割が海外に逃げることとなった。国連は第二次世界大戦以来、パレスチナ難民に次ぐ最大の難民問題として警鐘をならしている。


ムスリム同胞団とは、1928年にエジプトで成立した最老舗のイスラーム主義団体で、カリフ制が廃止され、中東諸国で西欧近代化路線を歩み始めた第一次大戦後、イスラームに基づいた統治を訴えた最初のイスラーム主義団体で宗派に関わりなくイスラーム世界全体に大きな影響をあたえ、ムバーラク後のエジプト政治をどう進めていくか、軍とムスリム同胞団はその方向性を異に、軍は既得権益を守りたい、同胞団は早く選挙を実施して政権を獲得したい、だが、「革命」後しばらくはその異を承知で、両者はタッグを組んでいったが、エジプトでは軍のクーデタ後、9月にはムスリム同胞団は解散を命じられ、2015月5月にはムハンマド・ムルスィーら同胞団幹部に死刑判決が下され、逆説的なことに、自由が混乱、世情不安や治安の悪化をもたらすならば、それより治安を力で維持することのできる政権権力のほうがマシだと、権威主義体制のカムバックを望んだ。


5.宗派対立?(2003年~)


アサド政権にイランやイラクなどのシーア派政権が支援していて、反体制派にはサウディアラビアやカタール、トルコなどスンナ派の国々が支援していると宗派対立の代理戦争だとさまざまなメディアでなされているが、イスラーム教徒は、うち9割程度がスンナ派、1割がシーア派であると言われていて、シーア派と一言で言っても、イランやイラク、レバノン、バハレーンやサウディアラビア東部に住む12イマーム派であるが、イエメンのシーア派はザイド派、パキスタンにはイスマーイリーヤ派、シリアにはアラウィー派がいる。


宗派の違いが自動的に対立や排除につながるわけではなく、「宗派」を理由に多くの人々が日々恐怖にさらされ、命を失い、互いに罵り合う環境が訪れたのはイラク戦争以降、もっともいえば、2006~07年のイラクの内戦状態の勃発からで、共存の工夫は、歴史にあり、両派がともに住み、シーア派のペルシャ帝国とスンナ派のオスマン帝国に挟まれて頻繁に戦場となってきたイラクでは、戦いとともに共存の工夫もなされていた。


オスマン帝国では、ハナフィー派しか政府官僚の職に就けなく、シーア派が通える公立学校もなく、シーア派が通える学校もなかった。


カリフ制が廃止され、イランもアラブもトルコも宗教や宗派は国策から切り離され、形式的には宗派の違いが戦いの原因になることはなくった。50年代以降、「民族主義の時代」が続く中東で、「宗教」を再び政治の舞台の中心に押し上げたのが、1979年、イランでのイスラーム革命で、反米革命勢力は宗派と関わりなく、反米、反植民地主義を謳い、イラン革命を真っ先に支持をしたのが、世俗的反米ナショナリズムを掲げる、スンナ派のPLO(パレスチナ解放機構)だったことは、その事をよく表している。


イラン革命を巡るその後の政治展開のなかで、イラン・イラク戦争は、政治対立が先にあり、それが宗派を巡る対立に転化され、その意味で「民族」や「宗派」は政治対立に利用価値大で、「イラン」と対立しているのは、歴史的にはオスマン帝国であったり、1980年代にはイラクだったが、今問題になっているのは、サウディアラビアである。


イランとサウディアラビアのライバル関係は近年始まったものではなく、アメリカの湾岸地域への政策のあり方を振り返ると、第二次世界大戦後、アメリカの中東政策の柱は、対イスラエル支援を除くと、ソ連の中東勢力拡張を防ぐことと、ペルシャ湾岸諸国からの石油の安定供給を維持することで、最大の産油国サウディアラビアを守るために、ソ連と国境を接する国々を全面的に支援する必要があり、トルコ、パキスタン、イラン、イランはトルコやパキスタンとともに、ソ連の湾岸油田地域への進出を防ぐための、重要な防波堤の一角だった。


「ソ連の脅威」は、50年代から70年代にかけては、エジプト、シリア、イラク、チュニジア、アルジェリア、リビアなどの北アフリカ諸国が次々に社会主義化していき、多くの国で知識人や軍人の間に社会主義思想が浸透し、イラン、サウディアラビア、ヨルダン、モロッコといった王政諸国にとっては、王政を転覆して成立した社会主義型の軍主導共和政は、恐怖以外の何物でもなかった。


1979年にイランがイラン革命を経て反米のイスラーム共和国になると、周辺アラブ諸国にとって脅威になり、イラクとサウディアラビアは、イランを共通の敵として同じ側になり、同時にイラクは、イランと断交したアメリカに接近した。


まさに、イラン革命の翌年に起きたイラン・イラク戦争(1980~88年)「脅威」が湾岸産油国に及ばないよう、防波堤としてイラクがイランと戦った戦争であり、それはアメリカの利益を守ることでもあった。だからこそ、サウディアラビアを始めとする湾岸産油国は、8年間にわたりイラクを金銭的に支えた。しかし、1990年のイラクのクウェート侵攻で、アメリカとサウディアラビアを始めとする湾岸諸国も反イラク側に回り、湾岸戦争でイラクと戦った。さて、この三つ巴関係を根底から崩したのが、2003年のイラク戦争に他ならない。


イランとの関係は宗派上の対立によって左右されているのではなく、やはり政治対立が先にあり、反イラン、反シーア派勢力が生まれている。


6.揺らぐ対米関係(2003年~)


世界で最も人口が多い「独立国家を持たない民族」と呼ばれるクルド民族は、イラク、イラン、トルコ、シリアに居住地を分断され、国境に近い地域に住んでいるために、ISの力を削ぐためにはクルド勢力に頑張ってもらうしかないと、オバマ政権は考えていて、アメリカがISに対する戦いでシリアに介入し始めても、トルコはあまり協力的ではなく、クルド民族の発言権が高まるのは、トルコにとって望ましくなかった。これまで宥和(ゆうわ)路線を続けてきた対クルド政策を一転させて、PKK(クルド労働党)への弾圧を強めて、2016年末には、トルコはイランとともにアザド政権を支援するロシアと手を組む決断をする。


サウディアラビアの軍事費は2011年から急激に増加していて、2015年に隣国イエメンでクーデタが起きて、サウディアラビアはクーデタ以前の2008年に、イエメンのホーシー派勢力拡大を止めるために、空爆を行い、イランのイスラーム革命防衛隊がホーシー派を支援していて、イエメン内線は、イランとサウディアラビアが関与し、国内避難民は2017年9月時点で198万人以上、40万人がコレラ罹患の疑いとされ、15万人の兵士を派兵したサウディアラビアは、数百名の死者を出していて、これまで戦場と無縁だった湾岸首長国では社会に徐々に戦時下ムードが蔓延している。


2015年7月、アメリカは核開発協議において合意し、イランの経済制裁を解除することに、そもそも、イランと関係が断絶したのは、イラン革命後にイランのアメリカ大使館がテヘラン大学の学生によって占拠され、大使館員とその家族52人を444日間にわたり拘束したのがトラウマになっている。イランが核開発を開始したのは王政時代(1957年)で、アメリカはそれを支援する立場にあって、イランが反米化したから核開発を問題視するようになった。


オバマ政権との間で大いに齟齬をきたしていたサウディアラビアとしては、トランプ政権の成立は、大歓迎で、その外交を主導したのが、サルマン国王の若き息子、ムハンマド・ビン・サルマン(通称MbS)国防大臣で、米・サウディ関係が修復し、2017年6月には弱冠31歳で皇太子に就任した。30歳を少し越えた若きMbSが、石油のみに頼らない経済革命を推し進め、民営化や外資導入を進め、「サウディビジョン2030」と呼ばれる計画を立案した。


問題は交渉の経験がない人は、誰とどう交渉するか、わからなく、自分が依存してきた、政治ではなく武力で決着をつけようとする。映画『アラビアのロレンス』で、「戦いの長所は若者の長所、だが、老人は平和を作る」というセリフをどのように乗り越ええていくだろうか。


7.後景にまわるパレスチナ問題
(2001年~)


ヨーロッパ社会でユダヤ人が被ってきた差別と抑圧の「つけ」が、中東の真ん中に住んでいたパレスチナ人が追い出されたり、殺されたりした。


1948年に建国したイスラエルこそがそのヨーロッパの矛盾を体現して中東地域に撃ち込まれた楔とみなされていて、大量のパレスチナ難民が発生すると、ヨルダン、シリア、エジプト、レバノンは、国境を隣接するイスラエルを多大な脅威とみなして、第一次中東戦争をおこし敗北を機に、アラブ民族主義軍人が政権を奪還するきっかけにとなる。しかし、アラブ諸国のエジプトが1979年にがイスラエルと単独平和条約を結び、アラブ諸国は、アラブボイコット(アラブ連盟はエジプトを追放し、イスラエルと商取引のある会社は商売をしない)、イスラエルと協力関係のある国には石油を売らないこの石油戦略は、日本で第一次オイルショックを招いた。今でもアラビア語の地図には、イスラエルではなく、「パレスチナ」と書かれている。


1970年、パレスチナ難民を最も多く抱えるヨルダンは国内に拠点を置くパレスチナ諸組織(PLO)を武力で排除した。


また、湾岸戦争で、クウェートに軍事侵略した時に、フセイン政権は、「イスラエルがパレスチナから撤退すれば、イラクもクウェートから撤退する」と言ったが、イラクをアラブ諸国で支持したのはPLOだけで、PLOはその後、湾岸諸国から援助を絶たれて孤立化した。


1993年、PLOのアラファート議長とイスラエル政府高官イツハク・ラビン首相、交渉した「オスロ合意」だったが、暫定自治期間の5年で約束された事項は実現できていなく、2000年に
ビル・クリントン米大統領の仲介で交渉が行われたが、そこで提示された自治案は、とてもPLOが呑めるようなものではなかった。


オスロ合意の推進者であったアメリカが、トランプ大統領の「二国家ではない案」は、イスラエルの存続、パレスチナ国家の否定で、オスロ合意は、ここで完全に否定された。


パレスチナ自治区政府の樹立は、1996年、自治評議会議長選挙ではPLOの最大の主流派であるファタハのアラファートが圧勝し、2004年にアラファートが死去すると、ハマース(元々ムスリム同胞団のパレスチナ支部)が地元住民に支持されたが、ファタハとハマースの間の深刻な武力衝突を繰り返し、ファタハは西岸を、ハマースはガザを支配して、分断状態が定着した。パレスチナ側がハマースとファタハで分裂した状況は、イスラエルにとってはこれ以上なく好都合で、ハマースだけを攻撃対象として、大規模空爆を繰り返し実施した。


パレスチナ人の若者たちの間でやり場のない不満が沈殿していき、2014年頃からは、ナイフでユダヤ人を襲う、
「ナイフ・インティファーダ」と呼ばれる暴動が頻発した。


パレスチナ人という存在は、長らく、「アラブ社会の心を揺さぶる犠牲者ナンバー1」だった。アメリカという「遠い敵」を標的にしたビン・ラーディンですら、「アメリカ政府は、イスラエルのパレスチナ占領を支援することを通じて、極めて不正で忌まわしい犯罪的な行為を行っている。われわれは、アメリカが、パレスチナ、レバノン、イラクで殺された者に対し直接の責任があると考えている」と述べていて、問題の根底にパレスチナ問題があることを指摘している。


中東諸国への世論調査で、「何が中東の平和と安定の障害になっているのか」との質問に、エジプト、サウディアラビア、トルコでは、「パレスチナの占領」と回答していて、レバノン、ヨルダン、UAE、イラクでは、「代表性のある政府がない」「国内派閥対立」という回答で、「パレスチナ問題」はその問題視の度合いが国によって触れ幅が大きい一方で、ほとんどの国で共通に傷害視されている課題は、国内政治や経済、ISや「イランの干渉」なのである。


終章
2015年9月5日のドイツ・メルケル首相の避難民受け入れ声明で、ドイツとオーストリアは国境を開いたが、メルケルのこの決断は、さまざまな問題を引き起こし、ドイツ自体も100万人を越える難民申請に一国では対処しきれず、トルコに多くを押し付ける格好で収拾を図った。


ドナルド・トランプの勝利は、「アメリカ・ファースト」の表現に、集約されている「アメリカ」だけではない、各国で、「マイ・カントリー・ファースト」の掛け声が浸透して、他者排除の口実と化している。


アメリカのエルサレムへの首都認定及び大使館移転宣言で、アラブ・イスラーム社会はざわつき、すでに激しい抗議活動とそれへの鎮圧行動で各地で武力衝突が起きているが、アメリカとの関係を第一に考えるアラブNATO諸国の「抗議」は、形式的なものでしかない。


20世紀後半の伝統的中東での戦争といえば、外国の支配とそれへの抵抗か、アラブ対イスラエルという対立軸か、共和政か王政かという体制間の対立かに集約されついた。そこでは、「他者」は中東を浸食する欧米(植民地支配)であり、アラブの土地に埋め込まれたイスラエルだった。その対立軸が今や崩れていて、誰が守るべき「国民」で、排除すべき「他者」なのか、自明ではない。グローバルなモトと人の流れ、グローバルな情報発信という、きわめて現代的な変化のなかで生じている国民国家の溶解で、「われわれ」と「他者」を分ける基準値として当たり前だった「国家の国民であること」が、今や当たり前ではなくなっているという、グローバルな問題である。


本当にこれが正しい戦争なのだろうか、と疑問を持つ国民に、「他者=敵/われわれ=味方」の対立軸を信じ込ませるためには、敵をいっそう敵らしく見せることだ、相手を「悪魔」扱いし、SNSや衛星放送を通じて、生々しい敵意を煽り、本来なら途中で譲歩したり調停されたりする対立を、妥協の余地ない対立に転化する。


想像力のなかから生まれた内なる敵やグローバルな悪魔であっても、ネットや衛星放送を通じてその認識が世界中に広まり、人口に膾炙すると、事実でなくてもその他者認識が定着してしまい、宗教対立や「新しい冷戦」の対立構造が一人歩きして、「事実」と化していくことは少なくない。


敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さが、そして、その相手を「悪魔」だ、と思ってしまう、自身の恐怖心がどこから来ているのかを振り返ってみることができるだけの冷静さが、誰かを排除するために激しい暴力を振りかざして、「空中戦」を戦う者ばかりが目立つなかで、地上にへばりついて輝く星は、まだ消えていない。


現代の日本の中東イスラーム研究者が、どの様に捉えているか参考になるが、やはり、この手の研究者に共通するが、アメリカ「共和党・民主党以外」の背後組織を考察出来なければ、真実は見えて来ない、9.11テロの分析が甘すぎる、また、中東の混乱で、CIAがどの様な活動をしていたか、対立軸を煽る世論誘導を仕掛けているのは誰なのか?そこのヒントには、キューバのフィデル・カストロの政策と、日本の2つの原爆投下の正確な分析が必要で、自国を守るために、本当にアメリカ国と、戦っていたのか?アメリカの背後を考察しなければ、本質は見えないだろう。恐怖を煽る悪魔は誰なのか?現代アメリカ版大本営発表を鵜呑みにしていても真実は見えない。日本にはこの手の歴史学者が多い。中東の混乱には、中東だけを見ていても、「悪魔」の本当の正体は見えないだろう。



ユダヤ人とダイヤモンド (幻冬舎新書)   – 2009/3 守 誠
1970年当時、ダイヤモンド研磨石は、ソ連製であり、当時、「ダイヤモンドの世界は、ソ連の原石も含め、南アフリカを根拠地とするユダヤ人組織『デビアス社(De beers)』が直接間接に支配している」という噂を耳にしたが、今から思うと、いくつかの点で大きな認識違いがあり、実際には、企業内にはユダヤ人はほとんどおらず、キリスト教徒の組織だといわれている。


ダイヤモンドは大きく分けて、1,「原石」採掘されたままで、一切、手が加えられてないもの。2,「研磨石」原石をカットし研磨したもののように二分される。


紀元70年、ローマ軍に玉砕的な決戦を挑んで敗北し、エルサレムから追放されたユダヤ人は世界に離散した。この離散を彼らは「ディアスポラ」と呼び、ユダヤ人がイギリスで温かく迎え入れた時期も一度はあった、彼らは国際貿易に長け、金も豊富に所持していたからで、一方彼らから金を借りた金が膨大になり過ぎ、返済に苦しみ出すと、当時の国王、エドワード一世は遂に1290年、全てのユダヤ人をイギリス本土から追放してしまった。


「ヴェニスの商人」の中で憎むべき敵としてユダヤ人高利貸シャイロックを登場させた。これが一般的に受け入れられている考えかただか、この考え方に反対するグループもあり、シャイロック性善説を説くグループもあり、
シェイクスピアが「ヴェニスの商人」を書いた歴史背景は、シェイクスピアはユダヤ人に対しいかなる偏見もなく、シャイロックに同情的で、観客の良識を揺さぶり、後世、「ヴェニスの商人」は反ユダヤの代表となってしまった。シャイロックを擁護する日本代表各の小谷瑞穂子氏は、幾つかの意見の最後に、残念ながら観客側には、シェイクスピアほどの歴史認識に迫るだけの理解力がなかった。


ユダヤ人高利貸シャイロックを出しに使い、高利貸を払わなくてもすむ内容に戯曲(ぎきょく)にして、日頃の憂さをはらせようとしたのではないのか。それがシェイクスピアの狙いであり、このイギリス社会の低流にある反ユダヤ感情を上手に利用したのがシェイクスピアであった。シェイクスピアの死後、今日、「ヴェニスの商人」が反ユダヤ主義を喧伝する「道具」なろうとは、当の本人はゆめゆめ考えも及ばぬことだったろう。


ダイヤモンドは、カットし研磨しない限り、あの綺麗な輝きは得られなく、西ヨーロッパの中世に登場したダイヤモンドは、まったく輝かない木偶の石だった。カットの技術がなかった中世では、ダイヤモンドは三流の石だった。


ダイヤモンドは最初に今から5,000年前という説があり、インドで発見されたが、他の特殊な性質を持った白い石とダイヤモンドを明確に区別できたかは定かではない。ただ、紀元前600年頃、ダイヤモンド生産は間違いなくインドで行われていた。


ダイヤモンドのインドから西ヨーロッパへの道についても、また西ヨーロッパにおける加工についても、表面的にはポルトガルやスペインやオランダなどの国家の名前が表に出てくるが、実際にダイヤモンド中心的に扱ってきたのはユダヤ人だった。ユダヤ人は様々な『国籍』の下で、ダイヤモンド・ビジネスを展開してきた。


11世紀、インドは列強の侵略の対象となり、アフガン、ペルシャ、トルコなどインドを侵略した勢力は、引き続きインドと中近東、さらに中近東とヨーロッパとの貿易ルートを強化した。


ダイヤモンドはカットしない限り、ダイヤモンドは三流の石で、ルビーやエメラルドのような色石に比べ、評価は低く、一説ではルビーの価格の八分の一だったといわれている。


少なくとも十一世紀末までは、東西貿易はユダヤ人が一手に取り仕切っていたが、東西貿易路がキリスト教徒の十字軍(1096年から1270年にかけて八回計画された)によって破壊された後、ユダヤ商人に代わってヴェネチアのキリスト教商人が台頭し、彼等は13世紀初頭からインド産品の供給ルートを200年以上も牛耳りインド産ダイヤモンドも彼らが扱うようになった。


東西貿易から追われたユダヤ人は、経済発展が遅れ、相変わらず中世封建社会の中にあった13世紀の東ヨーロッパのポーランドに逃げ込んでいった。


12世紀、西ヨーロッパにも貨幣経済が頭をもたげ、農業を中心にして成り立ってきた封建社会に崩壊の兆しが見えはじめ、農民などの庶民の間に宗教間よりも金銭的な欲望が強くなり、ローマ・カトリック教会はこれまで営々と築き上げてきた封建社会的秩序が崩れる恐れを抱いた。こうした背景から、特に標的になったのが、ユダヤ人貸金業のウスラ(高利)で金を貸す行為だった。


1179年の第三回ラテラノ公会議、1215年の第4回のラテラノ公会議では、利子に過当に重い高利貸は禁圧の対象になった。主要なターゲットはもちろんユダヤ人であった。利子問題だけでなく、ユダヤ人隔離の厳正な実施が命令され、それから376年後の1555年、広大な教皇領の中では、ユダヤ人はゲットー(隔離居住区)の中に閉じ込められることになった。夜は施錠され、行動の自由は大きく縛られた。


ダイヤモンドはカットしない限り輝かない、「反射」と「屈折」の二つの光学作用によって、独特の美しい光が約束され、この石が秘めた不思議な力を証明したのが、17世紀に開発されたブリリアント・カットである。この技術により、ダイヤモンドははじめて「宝石の雄」に躍りだした。


では、最初にダイヤモンド原石をカットしたのは誰だったのか、最初にベルギーはフランドル出身で、フランスのパリで宝石商を営んでいた「ロベール・ドゥ・ベルケム」は、『西インド・東インドの不思議』という書物で、ダイヤモンドの研磨は、自分の先祖に当たるロデウィック・ファン・ベルケムが1476年にはじめて、ブルージュで開発した。


また、「1700年、ヴェネチィアのガラス職人であったヴィンセント・ペルッチなる男が、今日でいうブリリアント・カットの原型を創作したと伝えている。」しかし、残念ながら二人とも架空の人物で、今日でも、そのウソを真に受けて、ダイヤモンドの歴史が語られることがあり、宝石研究家といえども、ニセ情報を掴まされている。


ユダヤ人が迫害され、追放され、ディアスポラ(離散)を強いられたとき、肌身離さず宝石・飽食類を持っていた。その中に、もちろんダイヤモンドもあった。


1492年のスペインのユダヤ人追放は、新しい時代の息吹を感じさせる時代の交換期にあり、この近世初期に取引された三代商品は、「香辛料」「銀」「毛織物」であり、こうした時代の大型商品の「隙間」を狙って入ってきたのが、インドからのダイヤモンド原石で、ユダヤ人にとってことのほか価値のある輸入商品であり、この原石が十四・五世紀にかけて開発されたカットの技術によって、宝石としての価値を持ちはじめたとき、ユダヤ人の
ディアスポラを支える大きな力になった。


スペインのユダヤ人に迫られた選択は「国外逃亡するか」「改宗するか」だった。改宗者の道を選んだ者はコンベルソ(改宗ユダヤ人=新本キリスト教徒)になったが、彼らを待ち受けていたのは宗教裁判であり、万一隠れユダヤ人とわかれば、待っていたのは極刑であった。スペイン全土からユダヤ人はイスラム教徒と共に追放された。


逃げ延びた先、いちばんの行き先は、イスラム教国トルコであり、異教徒に対して極めて寛大で、隣国のポルトガルは、スペインから遅れること五年で追放令が出され、アントワープ経由のアムステルダムを目指すしかなかった。


ポルトガルのリスボンからオランダのアムステルダムに向かう途中で、まずアントワープに入ったユダヤ人は、十四・五世紀にかけて開発されたダイヤモンドのカットの技術を知ることになる。


当時、アントワープはネザーランド最大の都市で、16世紀のアントワープは、国際ダイヤモンド都市としてトップの座にあり、ダイヤモンドの取引を有利に展開していた。ところが悲劇は、1585年、スペイン軍がアントワープを占領したので、また、宗教弾圧がはじまった。宗教裁判をおそれたユダヤ人やマラノ、それにコルベルソフの一部はアントワープを後にして、アムステルダムを目指した。


オランダはスペインと異なり、異教徒に対して比較的寛大で、市民権は与えられなかったが、自由にユダヤ教にのっとった宗教行事を行うことが可能だった。


アムステルダムはアントワープを抜き去り、17世紀以降二十世紀のはじめまで、世界最大のダイヤモンド国際都市でありつづけた。


十七世紀も終わりに近づくとインド産原石の供給が減りはじめたが、1725年、ダイヤモンドが偶然、ポルトガル支配下のブラジルのまミナス・ジェライスで発見されたが、供給量に不安がではじめ、ブラジル産原石の供給の時代は短期間で終焉を告げた。だが、1866年、南アフリカで偶然発見されたダイヤモンドは、アムステルダムに空前絶後の繁栄をもたらした。しかし、間もなく、今度は供給される原石の過剰でダイヤモンド産業全体が不況に陥った。1930年代に、より強固なダイヤモンド原石カルテルになっていき、アムステルダムのダイヤモンドの歴史は、350年の長さにわたった。
そこには、キリスト教徒、ユダヤ教徒の両教徒間に葛藤や感情的対立を根底にしながらも、1870年代の中頃ピークを迎えた繁栄はまもなく衰退の一途をたどる。


ダイヤモンド市場は1870年代後半、完全な飽和状態に陥り、価格の下落は大きく、労働者の過剰は彼らに過度の低賃金を強いて、労働者は「プロレタリアート」と呼ばれるほど窮乏状態に追い込まれ1900年代になると不況の影がますます色濃くなり、ダイヤモンド産業は窮地に追い込まれていた。


アムステルダムとアントワープにおけるダイヤモンド労働者の数の推移をみると、品質のいい最高の製品を産み出すアムステルダムは、不況によって、加工労働者は激減したが、小粒の質の悪い原石を扱い、安い賃金で成り立つ家内労働があるアントワープには、アシュケナージムが留まり、加工産業に安い労働力を提供しつづけることになる。問題はアムステルダムのユダヤ人労働者がアントワープに移れなく、彼らの多くは失業、転職して、衰退していったアムステルダムのユダヤ人労働者は、同じユダヤ人商人、工場主から切り捨てられた。


1940年5月10日、ナチスの軍隊がアムステルダムに、アントワープに侵攻すると、ユダヤ人の商人、工場主、労働者の区別がなくなり、都市の抗争も無用になり戦後、アムステルダムがユダヤ人ダイヤモンド関係者から税金を厳格に取り立て、一方のアントワープは柔軟な税金の対応で、今日、世界最大のダイヤモンド取引の中心はアントワープである。


古代から18世紀初頭までインドは世界唯一のダイヤモンド産出国だった、取引の中心地は、ゴルコンダと呼ばれ、すでに廃墟と化している。(今日のハイデラバードの近くにあったようだ)ゴルコンダの支配者たちは、「ダイヤモンドは希少であり、だから価値がある」とすでに考えられていて、独占支配を通じて産出量の調整を行い、価格維持を図っていた。


西ヨーロッパは十二世紀から貨幣経済に入り、国際貿易も徐々に盛んになり、ものづくりで生活にゆとりの出てきたマニュフクチャラー(手工業者)たちが王侯貴族(おうこうきぞく)と競って、宝飾類の新しい買い手として登場してきた。だが、繁栄は永遠にはつづかなく、二つの出来事がダイヤモンド産業の衰退を暗示した。1789年のフランス革命による需要の後退とブラジルの原石採掘の減少で、原石の採掘量の増減がそのままダイヤモンド産業の浮沈(ふちん)を占い、原石の大量供給がなければ、一度大きく膨れあがったアムステルダム、アントワープの加工業は死を迎える。


南アフリカで偶然にダイヤモンドが発見され、「ダイヤモンドクラッシュ」のはじまりがあった。1866年、南アフリカ・オレンジ自由州、ホープタウンの北東約50キロで、農家の15歳の少年(エラスムス・ヤコブス)が、陽光の下、ぴかっと光を放つ石を拾い、1年後この石が、21.25カラットのダイヤモンドで、価格は約500ポンドに相当する。現在この運命の石「ユーレカ」は、経由しながら、南アフリカ共和国キンバリーの金鉱博物館に展示されている。2番目に発見された、「南アフリカの星」は、競売で22万5000ポンドの価格が付いて、南アフリカのダイヤモンドクラッシュの幕開けがはじまる。


あらゆる国のあらゆる種族の人々が大地に潜む微笑なかけらを求めて、キンバリーを目指し1871年には、四万人がしぶとく住み着いた。


キリスト教徒のセシル・ローズとユダヤ教徒のバーニー・バーナトのキンバリー鉱山での熾烈な争いの歴史に、影の立役者ユダヤ人のロスチャイルドに触れる。


セシル・ローズには、鉱山経営者の顔と、植民地政治家の顔がり、大英帝国の権益をアフリカの大地に拡大するための軍資金稼ぎであり、キンバリー鉱山全域を自分の支配下に置くには、鉱区をいちいち買い上げるより、キンバリー地区のダイヤモンド採掘会社の株式を買い付けるほうが手っ取り早いと考えていた。


1884年、アメリカの激しい景気後退に襲われ、ダイヤモンド製品市場も価格の暴落に見舞われ、ダイヤモンドの関連会社の株式相場も暴落し、株主は売りを急いだ、反対に、ローズは「好機来たり」とばかり、キンバリーの採掘会社の株式を安い価格で買いまくった。


バーニー・バーナトが経営の主導権を握れるだけの株式を所有するキンバレー・セントラル鉱山会社の株式を、ローズは大々的な買付をはじめた、人為的な株式の買収合戦はとどまるところを知らず、株価をうなぎのぼりに上げ、アルフレッド・バイトがローズとロスチャイルドを結び、ロスチャイルド家を味方につけたローズの前には、バーナトは資金切れで降伏するしかなかった。


ユダヤ人の結束は並みのものではなく、結婚は同族同士で、当然、ユダヤ人への融資も優先、どんなに儲かりそうでも、融資先の国の政策が反ユダヤ主義の場合には金を貸さない。だが、現実には、「ユダヤ人金融業者ロスチャイルドの裏切り」だった。


ロスチャイルド家のビジネスを理解する上で、ワーテルローの戦い、スエズ運河の株式買い付けの事例を挙げている。


ワーテルローの戦いでは、フランスとイギリスの国家の運命がかかっていた戦いで、ロンドンのロスチャイルド家のネイサンが英国のコンソル公債を売りに出し、公債の相場は下落し、イギリスの敗北の噂で、暴落し紙くず同然の安値をつけたが、イギリスの勝利の情報をもたらす寸前、ネイサンはコンソル公債の大量買いに打って出て、数百万ポンドの利益を上げた。日本はまだ、徳川幕府の鎖国政策の下にあった時代である。


一方、ポルトガル王は採掘から売却に至るすべてのプロセスを王権が独占支配する体制を構築したが、植民地のブラジルで採掘量が減少し、財政が苦しくなり、ロスチャイルド家が、ダイヤモンド金融を通じて、約束手形、信用状、手形を使う金融システムで、ポルトガル王はダイヤモンドを抵当にして借り入れに踏み切った。しかも、ダイヤモンドを担保に金融を付ける方式がまだ定着していない草創期だった。


これまで、「ユダヤ人バーニー・バーナトとキリスト教徒セシル・ローズ」の対立を見てきたが、実際には「ユダヤ人バーニー・バーナトとユダヤ人アルフレッド・バイト」の対立でもあった。


アーネスト・オッペンハイマー(1880~1957年)は、ダイヤモンドの世界で、もっとも影響力のあった人物で、商品の宝石用ダイヤモンドに、「自信」と「確信」と「信頼」を寄せるべきだと解いていて、宝石用ダイヤモンドの需要に悪影響を及ぼす「自信喪失」や「イメージ破壊」といった危険なマイナス因子は、即刻摘み取らなければならない。


ところがダイヤモンドの最大の消費国アメリカには、反トラスト法(独占禁止法)があり、それらの条文をかんがみるとデビアス社の原石カルテルは絶対に許されるべきものではなかった。


デビアス社が起訴されてから10年、2004年7月13日、「シャーマン法第一条違反として1,000万ドルの罰金の支払を命ずる」アメリカ司法当局のデビアス社に対する反トラスト法違反追及は中途半端なものではなかった。


アーネストは、1917年、金の採掘事業を推し進めるため、南アフリカ・アングロ・アメリカン社を設立した。


南アフリカはセシル・ローズのデビア社が同国全地域を押さえていて、アングロ・アメリカン社は、南アフリカ隣接国ナミビアのダイヤモンド鉱山11社すべてを、手にいれた。


既存のダイヤモンドシンジケートに対抗して自分自身の新しい「オッペンハイマー・シンジケート」を誕生させて、安価な価格競争に突入したため、原石価格は暴落、市場は崩壊寸前にまで追い込まれた。


1914年に南アフリカ政府は、現状を深刻に受け止め、「ダイヤモンド統制法」の導入に踏み切り、原石の生産と販売すべての権能を政府に移管するものだった。


法律の中身は、アングロ・アメリカン社に100%有利な内容に法案が書き換えられ、「南アフリカ政府は原石の買い入れに際して、国内の法律に基づいて設立された鉱山会社に優先権を与える」というもので、アングロ・アメリカン社は南アフリカで設立された会社である。旧ダイヤモンド・シンジケートは崩壊した。


国際金融機関ロスチャイルド・グループの財政支援を取り付けたアーネスト率いるアングロ・アメリカン社は、ユダヤ系金融関連モルガン・グレンフェル商会を通じて、デビアス社に同社の株式買取り要求を突き付け、1929年12月19日、大恐慌発生直後、敵対関係にあったデビアス社を完全支配し、アーネストはデビア社の会長職に、強力な原石カルテルが形成された。


アーネストのキリスト教への改宗が行われたのは、1935年で、55年間は、ユダヤ人として生きてきて、改宗理由の真相はヴェールに包まれたままである。


1939年1月30日、このヒットラーの演説が、ユダヤ人の運命を、大きく左右した。


1939年9月1日、ナチスのドイツ軍は
ポーランド侵攻、第二次世界大戦が勃発し、8ヶ月ほどで、ベルギーとオランダに軍を進めイギリス攻撃の拠点として使う目的の他に、ユダヤ人のダイヤモンド商から彼らのダイヤモンドを根こそぎ剥奪する使命が隠されていた。


ナチスの強制収容所で命をたたれたユダヤ人数は少なく見積もっても595万人と巨大な数字に膨れ上がる。


ヨーロッパのユダヤ人がまず脱出先として考えたのは、アメリカとパレスチナ(当事イギリスの保護領)で、アメリカは24万人を受け入れ、パレスチナは5年間で75000人を、しかし、880万人のユダヤ人の難民救済とは程遠い。


上海になると、ユダヤ人にとって脱出先として好都合になり、「日本の占領地域」であった上海には、ビザなしで入ることが可能で結果的に2万5,000人のユダヤ人が上海に脱出している。


ベルギーからの逃亡者の中には、5,6000人のダイヤモンド商や研磨工がいて、彼らの目指す地点は、ベルギーとフランス政府の間に取り決められていた大西洋に近いフランスのロワイヤンという都市だったが、ドイツ軍はすでにロワイヤンに来ていて、ナチス軍隊は、ユダヤ人ダイヤモン商に、いかなる迫害も与えず、「微笑戦術」で、彼らが隠し持つダイヤモンドを全量を奪いとるためである。


特に、戦争遂行には莫大な資金が必要で、ドルやポンドなどの外貨が不可欠で、ダイヤモンドは戦争遂行上、ドイツに不可欠な戦略物質であった。


1942年5月1日、「すべてのユダヤ人経営の会社を商業登記簿から抹消せよ」と命令が出され、すべてのユダヤ人の社会や商業関連施設が存続出来なくなった。


「ダイヤモンド略奪計画のアントワープ総括責任者」の、ドイツ人のウイリアム・フレンゼルは、「フレンゼルによって横領されるダイヤモンド略奪大作戦」に変身し、悪党は没収したユダヤ人のダイヤモンドのほとんどを横領する決意を国家を裏切り数十億ベルギーフランを盗み取るが、第二次世界大戦が終わらない1944年、この世を去る。


ユダヤ人のブラハフェルト氏がナチス・ドイツのベルギー占領下で生き延びられたのは、「カトリック修道院の中」であった。ナチスからユダヤ人の私を最後まで命をかけて守ってくれたのは、カトリック修道院の皆さんだった。


2000年8月27日、ポーランド・カトリック教会は、第二次世界大戦中、ポーランドがナチスのドイツ軍に占領されたとき、ユダヤ人がホロコースト(大量虐殺)の悲惨な状況に置かれていたにもかかわらず、「無関心」、「ユダヤ人への敵意」さえ示した、これらに対して、ポーランド出身のローマ法王パウロ二世は、歴史上犯してきた罪に対して許しを求めた。ポーランド・カトリック教会の謝罪である。なお、プロテスタント教会各派もそれぞれ、戦争中の行動について謝罪したと聞いている。


今日、ダイヤモンドの世界最大の加工センターは、インドが他に抜きに出て、ナンバーワンであり、第二位にタイ、中国など東アジア、三位にイスラエル、四位にロシアである。


産出国は、南アフリカのボツナワ、オーストラリア、ロシアの順で、オーストラリアのダイヤモンドは、品質が伴わない。


超定価のダイヤモンドは、インドの「超」低賃金の「児童労働」によって産み出され、世界的な問題が有ることを指摘している。


イスラエルはダイヤモンドが経済を支えていて、貿易統計上、ダイヤモンドの輸出額はインドより多く、輸入はインドより少ない。ダイヤモンド王国の地位をインドには譲ってはいない。


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2000年7月12日のデビアス社のカルテル終結宣言は、研磨石にデビアスの名前を刻印して販売することが宣言文の中にはいっていた。


原石カルテルの主要な崩壊理由は、①米欧の独占禁止法の締め付け、②オーストラリアのアーガイル鉱山がデビアス社からの脱退、③ロシアからの安定供給が期待できない。④アンゴラ共和国、コンゴ民主共和国がカルテルを通さないで独自販売。⑤カナダを代表するエカティ鉱山もダイアビック鉱山も長期的に見て原石の安定的独占の維持が困難という認識。で、デビアス社が生き残るための新しいより強力な経営戦略が求められ、ブランド化作戦の大胆な見直しを行った。


最後に、イスラエルのテルアビブで、ユダヤ人に、「ユダヤ人は長い歴史の中でダイヤモンドとかかわって、アーネスト・オッペンハイマーがキリスト教徒に改宗してから、デビアスの企業文化が完全にキリスト教文化になってしまった」と著者に語りかけた。


ダイヤモンドから見た一つの世界観として見るのは、面白いが、イスラム教や、イスラエル(ダイヤモンドで建国したとも見ることも出来るが)がどの様に、ダイヤモンドと関わっていたか、一番重要なポイントが蔑ろになっている、イスラムが今でもダイヤモンドで収益を上げている現実を見れば、決してユダヤ人がダイヤモンド産業から撤退しているとは思えない。なにか消化不良の内容でプロパガンダ本?隠されたタブーを読者によっては感じるかも知れない。ダイヤモンド論争と中東の三代宗教の関係もテルアビブで、何か有りそうだ。