ニュースが好き

政治でも経済でもアニメでもニュースなものが好きです。

3/25 池上彰のニュースそうだったのか!!と個人的な一部ホソク点


北朝鮮の説明・一番最後の20分ぐらい
北朝鮮につき、いつから物騒な国のイメージができてきたか。
 金日成の時代はいいとか悪いとかそういうのも含めてよくわからない。なかなかニュースにならなかった。
 日本は戦後の復興で大忙し。北朝鮮はニュースにならない。
しかし約60年前、こんなニュースが…
 田山「こどものころに映画館に行くと、ニュース映像が良く流れた。(北朝鮮につき)楽園とか言って大きな輸送船が…」
「在日朝鮮人が北朝鮮へ向かうのをみんな楽しく何回も見て、そんな素晴らしい国なんだ」


池上「地上の楽園っていわれて、大勢の人が北朝鮮に渡っていた」


1959年 北朝鮮は「地上の楽園だ」と。在日韓国朝鮮人を祖国に戻そうとこんな宣伝映像が流されていたのです。
で、平壌の状況。車が走り、帰国者を迎えるアパートが映し出され、そこで生活する人たち。
映画「千里馬(チョンリマ)」
 キャフェテリア、搾取のない社会、働けば働くほど豊かになる、物資豊か
 教育費が一切いらない。本を買うのも心配なし…衣服一切国家負担。国家からこどもに奨学金
社会主義制度がいいことをつくづく感じている
(✕昔は植民地→日本に併合されています。)


 ビールを飲む映像 楽園ぶりをアピール


北朝鮮帰国者1958年~1983年まで 9万3000人、


狙いは
 北朝鮮は朝鮮戦争で若い人が多く死んでしまった。労働力不足だった。(財産ももってくるだろう)
しかし日本には朝鮮半島出身者が数多くいて、北朝鮮はここに目をつけた。


 在日韓国朝鮮人…「九州の炭鉱地帯」
ナレーター「朝鮮人であるがゆえに強いられたどん底のその日暮らし」
60万人に及ぶ在日朝鮮人のうち11万人が北朝鮮への帰国に唯一の望みをかけているのだ。
生活が苦しい家族の話
朝鮮出身者というので差別されていたり、就職先がない人も多い、
こういう人たちに「祖国に帰れば働き口はある、大学までいける」そういう希望を伝える。地上の楽園。


1960年 北朝鮮に渡り取材した新聞社。
帰国後の記事
「暖かい宿舎や出迎え」(なぜかしら産経新聞)
「夢のような正月」(なぜかしら読売新聞)
(→テレビ朝日なんだから朝日新聞の記事を出せばいいものの、
 なんと読売と産経の記事を出しています。ちょっとヒドイです)


田山「(新聞記者は)本当のことをみてきたのでしょうか」
池上「国は一方的な宣伝をするが、自由な取材ができない。北朝鮮の情報がほとんどなかったので、ウソか本当か知るすべがなかった」


当時の北朝鮮はソ連から経済援助を受け豊かだった。
(→確かにソ連から経済援助はあったでしょう。でも豊かだったのは日本が平壌周辺に莫大な投資をしてきれいにした側面が大きいのでは。
 ちなみに朝鮮投資で割りを食ったのが、東北だったという話をきいたことがある。)



◆ ◆
さて気になった部分を取り上げてみたい。
①朝鮮出身者というので差別されていたり、就職先がない人も多い…
 これですね。たしかに日本人は朝鮮出身者に対し差別があったかもしれません。差別の理由は日本語が変とか、身なりがきたないとか。
 でも、もう一方で差別じゃなくて、日本人が朝鮮出身者を嫌っていた部分がある。それは戦後の朝鮮人(および共産主義者)による暴力行為などです。生田警察署襲撃事件、直江津駅リンチ殺人事件、富坂警察署襲撃事件…枚挙にいとまがありません。(学校では教えませんし、マスコミも伝えません。ただし、いまはウィキペディアなどで調べることができます。とにかく1945年の終戦後から何年か事件年表を作ると、こんなに朝鮮人(および共産主義者)が事件ばかり起こしていたのかとびっくりします)
だから「朝鮮出身者というので差別されていたり、就職先がない人も多い」という情報を聞いて、日本人が一方的にイジメていたと理解しないことが大切かと思います。


 ②金日成が在日朝鮮人の帰国を歓迎する旨につき。
  日本政府としては、(当時は北朝鮮がそこまでヒドイ国と思っていないから)→一部、民団からは反対は出ていたようだが。
祖国に帰るからそれに越したことはない
   ①で説明したような暴動が抑制できる、生活保護も抑制できるなど

  厄介払い的な側面 
   こういうことで帰国事業を促した。


 朝鮮人の帰国を促したとされるもの(管理人の資料参考)
田村茂が有楽町で写真展「新しい中国と朝鮮」を開いた。この写真を見て帰国を決意した人も多かったといわれる。
寺尾五郎の「三十八度線の北」
週刊「朝鮮総連」に『地上の楽園』


参考
寺尾五郎(ウィキペディアより)
訪朝時の事件
1960年8月、寺尾は朝鮮開放15周年慶祝日朝協会使節団の秘書長として北朝鮮を訪れた。その際の8月27日、清津へ向かう急行列車で、彼の1959年に書いた本『38度線の北』を見て北へ渡ったという3人の男たちに取り囲まれ、
「お前の本に騙されて、こんな生き地獄へ連れてこられた。俺たちの人生をどうしてくれる」と迫られた。
しかし、寺尾は彼らを愚連隊と決め付け、まともに取り合おうとしなかった。その後、彼らは列車を降ろされて行方不明になったという(参考資料:『金日成の野望』、柴田穂、サンケイ出版、1984年。『朝鮮・その北と南』にも同様の記載あり)。